小説ー8 ニムロッド・クラブ解散

ニムロッド・クラブ解散
連載第8回  *3*の3


 二人は部屋の中を調べて回った。
 フィリップは机の上に別の下絵があるのを見つけた。『ピクウィック・ペイパーズ』第一号に載っていた、スラマー軍医が腕を上げている図だった。
「その絵がどうかしたか? 」
 ワトソンが肩越しに覗き込む。
「『ピクウィック・ペイパーズ』の挿絵の下書きです。腕を突き出しているのはスラマー軍医です」
 フィリップは『ピクウィック・ペイパーズ』が、狩猟クラブの失敗談を扱った本であることを説明した。
「狩猟クラブねえ。それにしては何だか妙だな。狩猟なら郊外の野原に行くはずだろう。その絵は室内だし、おまけに、階段の上にはご婦人方の姿もある」
「そうなんです。第一号の第二章になると、釣りや狩猟の話ではなくて、女性を誘惑する話になってしまうんです」
「女性をハントするわけか、それでは本題の狩猟からは外れるな」
 フィリップは下絵を見て違和感を覚えた。『ピクウィック・ペイパーズ』に掲載された挿絵と、この下絵とではどこか違うような気がする。
 机の上に『ピクウィック・ペイパーズ』第一号があった。該当のページを開き、下絵と見比べると相違点はすぐに見つかった。下絵ではスラマー軍医の突き出した手は拳を握っている。それが、掲載された挿絵になると指を五本とも広げた形に描かれていた。版画にするにあたって修正を施したのだ。
 ワトソンは部屋の中をあちこち調べていたが、
「これを見てみろ、フィリップ」
 と、大きな声を出した。
 ワトソンが見つけたのは一通の手紙だった。
 フィリップはその手紙を手に取って思わず目を見張った。
 それは、四月十四日付の手紙だった。差出人はチャールズ・ディケンズ。『ピクウィック・ペイパーズ』の作者、チャールズ・ディケンズである。
「ディケンズからシーマーさんに宛てた手紙ですね」
 遺書代わりに残されたと思われる『臨終の道化役者』の挿絵。そして、ディケンズからの書簡。
 これは何かある。
 フィリップはディケンズの手紙を読んだ。


【我々の共通の友人であるピクウィック氏にお払いいただいているあなたのご苦労と、また、あなたのお骨折りの結果が、どれほど私の期待を超えるものかを申し上げたくてお手紙を差し上げた次第です。私は『臨終の道化役者』が気掛かりでなりません。下絵を拝見しました。良い出来ですが、私のアイデア通りとは思えません。そこで、改めて新しい絵柄を考えていただきたいのです】


「共通の友人だとあるが、ピクウィック氏とは誰かね。何か知っているかもしれん」
「彼は『ピクウィック・ペイパーズ』の登場人物です。実在の人物ではありません」
「架空の人間? ややこしい話だな」
「続きを読んでください。これ、十七日の招待状ですよ」
 手紙の続きには、チャップマン&ホール出版とともに、次の日曜日、十七日に、ファニーヒルズ・インの自宅へ招待すると書かれてあった。
「シーマーさんは十七日にディケンズの家に行ったんですよ。出版社の人たちも同席していますね。チャップマン&ホール社は『ピクウィック・ペイパーズ』の出版元です」
「どうやら当たりだな」
 ワトソンが唸った。
 この書簡は、シーマーが自殺に至る理由を知る手掛かりになる。
 フィリップが十七日に見かけたのは、ディケンズの自宅で開かれた会合から帰るシーマーの姿だった。それは、シーマーにとって愉快な集まりでなかったことは明白である。彼が落ち込んでいたのは、ディケンズや出版社との会合に原因があるとみて間違いない。
 そこで新たな疑問が出てきた。
 ディケンズは、臨終の道化役者が気掛かりだと記してある。
 ということは、『ピクウィック・ペイパーズ』第二号で、道化役者のストーリーが展開するのだろうか。シーマーは、『ピクウィック・ペイパーズ』の第二号のために、『臨終の道化役者』の挿絵を作成していたことになる。だが、臨終の道化役者と狩猟クラブとはどうみても結び付かない。
 シーマーが遺書のつもりで、『臨終の道化役者』の版画を作ったと思ったのだが、そうとは言えなくなってきた。
 また手紙の続きを読んでいく。


【私の望む変更箇所を説明します。女も男も、もっと若くあるべきです。あまりみすぼらしくなく、同情や優しい心遣いのこもった風貌にするべきです。私は、病気の道化役者を、痩せ衰えて死にかかっていると書きましたが、嫌悪を感じさせるものにはしたくありません。この変更はいかがでしょうか。あなたは、部屋の調度を見事に描いています】


「下絵に対して、随分、細かい指示を出していますね」
「ディケンズはシーマーよりは若いんだろう。それにしては、なんだか尊大な言葉の使い方だ。【お骨折りの結果】とか【部屋の調度を見事に描いています】だなんて、年上の人間に対して使うのは失礼じゃないかな」
 ワトソンは今にも手紙を破かんばかりの剣幕だ。
 シーマーは三十八歳だった。ディケンズはそれより年下の二十代半ばである。手紙に見られる表現は確かに礼を失するものがある。
 調度を見事に描いているに至っては、挿絵画家にとってみれば、決して褒め言葉とは言えないだろう。むしろ嫌みだと受け取れる。背景は上手だが、肝心の人物が下手だと決めつけているようなものだ。
 ディケンズは、ベッドに横たわる道化役者に関して、【痩せ衰えて死に掛っていると書きましたが、嫌悪を感じさせるものにはしたくありません】、と、もっと表情を和らげるように修正を求めている。
 フィリップは『臨終の道化役者』の下絵と出来上がったエッチングを並べてみた。下絵に描かれた道化役者は病人らしく痩せて弱々しく見えるが、嫌悪を感じるとまでは言い切れない。また、エッチングで彫られた版画は左右反転しているので表情の判別がつきにくい。これだけでは、シーマーがどのように修正したのか定かではなかった。刷り上がった物と下絵とを比較する必要があるだろう。
 その機会があればの話だが・・・
 フィリップはディケンズの書簡をノートに書き写しはじめた。それを見てワトソンは、家政婦の様子を見てくると言って部屋を出ていった。
 手紙の文面を写し取り、便箋を元のように机に置いたとき、丸めた紙が目に入った。紙を広げてみる。


【三月二十八日=『ピクウィック・ペイパーズ』第二号『臨終の道化役者』原稿受け取る。四月五日=下絵送付。十四日=書簡届く】


 版画の制作スケジュールだった。
 スケジュールと手紙から判断するに、『ピクウィック・ペイパーズ』の第二号に『臨終の道化役者』が掲載されるとみて間違いないだろう。
 そこで、廊下に足音が聞こえた。ワトソンと家政婦が戻ってきた。フィリップはその紙を元のように丸め、鉛筆やノートを小型鞄に押し込んだ。
 シーマーの家を辞しての帰り道は来るときよりも足取りが鈍かった。
「ディケンズの書状にあった十七日の会合がどんな内容だったのか、関係者に確かめたい気持ちです」
「ああ、そうだな」
 ワトソンが立ち止まった。
「だが、今はまだ早い。新聞にシーマーの記事が出るのは、明日か明後日になるだろう。週刊新聞や旬刊紙なら月末か来月だ」
 訪問するにしても、出版社にシーマーの訃報が伝わってからにした方がよい。
「手紙を読んで、シーマー氏の遺書にあった「誰か」とは、ディケンズを指す可能性が強くなった」
「私もそう思います」
「しかし、これは事件ではない。ディケンズの元を訪ねるのは考え物だぞ」
「そうですね、シーマーさんの遺書にも、誰も咎め立てしないようにとありました」


 フィリップは、残されたシーマーの遺書、ディケンズからの手紙などの材料を手掛かりに推理した。
【ニムロッド・クラブ】と『ピクウィック・ペイパーズ』。この二つに関連性はあるのだろうか。
 シーマーは狩猟クラブの失敗談を描いた挿絵集【ニムロッド・クラブ】を出版しようと計画していた。一方、シーマーの挿絵入りで出版された『ピクウィック・ペイパーズ』は、狩猟クラブを扱っているようにみえるが、その内容は狩猟や釣りとは関係のない物語が展開している。
『ピクウィック・ペイパーズ』が、シーマーの企画した挿絵集【ニムロッド・クラブ】を原案にしたものであると仮定する。
 何らかの理由で、【ニムロッド・クラブ】に説明文が付けられることになり、さらに、説明文は小説に変わった。それが『ピクウィック・ペイパーズ』である。第一号では狩猟クラブの発会式の場面もあった。だが、来月刊行予定の第二号では、どういうわけか、臨終の道化役者という暗い話が始まるようだ。
 そして、シーマーが描いた下絵に対し、ディケンズから修正を要求された。
 遺書や手紙などから察するに、シーマーとディケンズの間に何らかの確執があったことは否定できない。その確執とは、挿絵の下絵を見たディケンズが修正を求めたことだと思われる。シーマーは著名な挿絵画家であるのに対し、ディケンズはまだ無名の新人作家だ。
 シーマーは狩猟とは無縁の、臨終の道化役者の挿絵を描く、いや、描かされることに苦痛を覚えたのではないだろうか。
 しかし、だからと言って、それが死を選ぶ理由になるのか・・・
 フィリップは深くため息をついた。
 【ニムロッド・クラブ】と『ピクウィック・ペイパーズ』の関連性を解明するには、チャップマン&ホール社に出向いて、四月十七日の会合について聞き取り調査をすることが必要になってくる。
 だが、ロバート・シーマーの死は、一時的な精神錯乱による自殺として公に報道されるであろう。 
 シーマーの遺書には【誰も咎め立てしないように】と書いてあった。故人の気持ちを汲んで、これ以上の調査であるとか、まして誰かを探ろうとするべきではない。警察の対応はこれで充分である。


『タイムズ』紙に、ロバート・シーマーの訃報が載ったのは二日後のことだった。
 原因は、一時的な精神錯乱と書かれてあった。