小説ー7 ニムロッド・クラブ解散

ニムロッド・クラブ解散
連載第7回  *3*の2


 フィリップはワトソンとともにロバート・シーマーの自宅へ向かった。彼の家までは歩いて行く。書記の務めとして筆記用具を出張用の小型鞄に入れてきた。
「亡くなったシーマーとはどんな接点があったんだ」
 ワトソンは取り調べ口調になっている。
「去年の十月でした。湖に釣りに行って、そこでシーマー氏に出会いました。彼も釣りが趣味だったようです。釣りや狩猟をテーマにする挿絵集を出したいと言ってました」
「『ピクウィック・ペイパーズ』とか言ったな、それは狩猟の話か」
「そうです。狩猟クラブを扱ったものです。ですが、本の内容は挿絵集というよりは小説でした」
「シーマーは小説も書くのか」
「小説を書いたのは、ディケンズという作家です。ペンネームはボズとなっています。二十四か五か、そのくらいの若手の新人作家です」
「詳しいな」
 書店の店主に教えてもらったと答えた。
「実は・・・私は三日前にシーマーさんを見かけました」
 それを聞いてワトソンが立ち止まる。
「それを早く言え。三日前なら日曜日だろう。どんな様子だった? 」
「何だか深刻な表情で考え事をしているようでした。うなだれて、肩を落として歩いていました。病気か、それでなかったら、いろいろ悩んでいたんでしょうね」
「貴重な証言だ。精神的なショックでもあったみたいだな。その件は、あとで監察医官にも話してくれ」
「湖で会ったときも、神経質というか、あまり活発な印象ではなかった。元来、ああいう性格だったと見受けられます」
「猟銃のことは何か言ってなかったか? 」
「挿絵の参考にするので猟銃を持っていると聞きました」
 図らずも、あのときの不吉な予感が当たってしまった。
 シーマー家が近くなった。
 この辺りまで来ると市中の喧騒とは無縁の静かな郊外である。
 フィリップは足が重くなった。普段はめったに現場に出ることはない。そのうえ、当事者が知り合いとあっては尚更である。
「ここだよ、この家だ」
 周囲を低い柵で囲まれた一軒家だった。玄関までは石畳が続き、両側は芝生の庭で、バラのアーチも見えている。
 玄関のドアが内側から開いた。顔を出したのは警察の監察医官であった。
「ご苦労様です」
「ついさっき、棺の手配をした。奥さんはショックで口もきけない有り様だ。今にも倒れそうだったのでベッドに寝かせた」
「医官殿のご意見はいかがですか」
「自殺ですな。原因は、一時的な精神錯乱ということになるだろう」
「新聞にはそう発表してよろしいですかな」
 ワトソンが訊ねると監察医官は軽く頷いた。
 監察医官を見送ってフィリップとワトソンは裏庭に回った。すでにシーマーの遺体は自殺現場から室内へ運ばれていた。フィリップは頭を下げて冥福を祈った。


「奥さんに話を聞くのは無理な様子だから家政婦を呼んでこよう」
 呼びに行くまでもなく家政婦らしき女性がやってきた。ワトソンが、家政婦のエレンだと紹介した。
「エレンさん、少しは落ち着きましたかな」
「ああ、どうしてこんなことになったんでしょう。奥様まで倒れてしまいましたよ。ジョセフさんがいなかったら、もっと大変でした」
 ジョセフというのは隣に住む男で、市内で肉屋をやっているとのことだ。
 家政婦のエレンが今朝の出来事を話し始めた。だが、まだ動揺しているのか、話が前後して要領を得ない。ワトソンが何度か補足した。
 それによると・・・
 早朝、家の裏手で銃声がした。エレンが飛び出して見にいくと、この家の主人、ロバート・シーマーが裏庭に倒れていた。エレンの悲鳴を聞き付けて、いち早く駆け付けたのは隣家のジョセフだった。彼はすぐに状況を察して、シーマー夫人が近づくのを押し止め、さらに、落ちていた遺書を拾い上げて家政婦のエレンに渡した。そして、自宅に戻ってバケツに水を汲んで戻ってきた。至近距離から撃ったため、遺体の上着が燻って煙が出ていたのだ。このジョセフの初期対応のおかげで、現場の状態を保存することができた。ジョセフという男は元軍人だそうだ。
 エレンは残された夫人や子供が気の毒だと涙ながらに語った。
 フィリップは筆記用具を取り出して彼女の証言を書き取った。
「シーマーさんはお幾つだったのですか」
「歳ですか・・・ええと、三十八、そうです、三十八歳でした」
「さぞ驚かれたでしょう、エレンさん」
「そりゃあ、もう、心臓が止まりそうでした。あたしは朝は早いんですよ。今朝も普段通りここにやってきたんです。そうしたら、とたんに、あの銃声でしょう。ジョセフさんが来てくれて助かりました、あたし一人ではねえ、どうしたらいいか分かりませんでした」
 彼女は胸を押さえた。そのときのことを思い出しているのだ。シーマー夫人が寝込んでしまったので家政婦のエレンに話を聞くしかない。彼女には申し訳ないが、もうしばらく事情聴取に付き合ってもらうことにした。
「シーマーさんは、何か悩んでおられませんでしたか。実は、私は十七日に姿を見かけたのですが、かなり落ち込んでいるようでした」
 フィリップが訊ねた。
「さあ、どうでしょう。十七日は日曜でしたよね。あたしは、その日はお休みをいただいておりましたから・・・日曜日ねえ」
 家政婦のエレンはしばらく考えていたが、
「そういえば、前の晩でしたか、明日、十七日には外出する、人と会う約束をしたって、そんな話をしてたと思うんです」
 と、答えた。
 十七日には会合があった。フィリップが見たのは、その会合から帰るところだったようである。しかし、エレンは、シーマーがどこで誰と会うかまでは聞いていなかった。
「月曜日のことはよく覚えていますよ、ええ」
 エレンが言った。
「十八日、十九日、この二日間、ご主人様はずっと仕事部屋に籠っておられました。昨日はお昼も召し上がらないほどでした」
 シーマーは自殺の直前まで挿絵を描いていたようだ。仕事部屋に行けば何か分かるかもしれない。
「そのお部屋を拝見してもよろしいでしょうか」


 フィリップとワトソンは家政婦に案内されて仕事部屋に行った。
 シーマーが仕事に使っていたのは陽の光が射しこむ明るい部屋だった。部屋の中は机と椅子がそれぞれ二つずつあった。大きめの机の上には挿絵の仕事に使う道具があった。鉛筆、画用紙、先の尖った細い金属ペン、平たい四角の皿などが置かれていた。液体が入ったガラス瓶も何本もある。かすかに薬品の匂いがするのはそのためだろうか。壁際の本棚には本がきちんと並べられている。隅の方に釣り竿が立てかけてあった。
「ええと、シーマーさんは挿絵画家でしたな。ペンや絵の具で描いていたのだろうか」
 ワトソンが部屋の中を見回した。
「銅版画のエッチングという技法を使っていたそうです。初めにペンや鉛筆で下絵を描き、それを銅の板に彫るんです」
「エッチングね。それで、出来上がったものはどこにあるんだ」
 ワトソンは、紙に印刷された版画のことを探しているのだが、それらしき物は机の上には見当たらない。
 家政婦のエレンが机の隅を指差した。
 フィリップは二台ある机のうち、小型の机に近づいた。
「これですね。壁際に立てある銅のプレート、これが完成品だと思います」
 挿絵の下絵を描き、それを銅のプレートに彫るまでが挿絵画家の仕事である。
 壁に立てかけて銅のプレートが三枚あった。しかし、どれも表面はツルツルしていて何も彫られていない。裏向きにしてあるのだ。その真ん中の一枚のプレートには下絵と思われる画用紙が敷いてあった。
 画用紙に描かれた下絵を見る。室内のベッドに伏している男と、その側にもう一人の男が座り、反対側には子供を抱いた母親が立っている。題名は『臨終の道化役者』とあった。寝ている男が臨終の道化役者だと思われる。
 次にフィリップは、裏向きに置かれた銅のプレートを表に向けた。これが『臨終の道化役者』のエッチングの完成品なのであろうか。なにしろ、非常に細い線で彫られているし、版画の原版なので下絵とは左右反対になっている。目を凝らし、何度か見直して、『臨終の道化役者』の下絵と同じ構図だと分った。
 シーマーが最後に作成していたのは釣りや狩猟に関係する挿絵ではなく、死の床の道化役者だった。
 死の床の・・・
 『臨終の道化役者』は、挿絵による遺書だったのだろうか。
「シーマーさんは、自らを死ぬ間際の道化役者と重ね合わせたんですかね」
「そうかもしれん。挿絵を遺書代わりにするとは、いかにも挿絵画家らしいな」
 家政婦の話の通りだとすると、シーマーは二日間かけて『臨終の道化役者』を作成していたことになる。
 しかし、いったい誰が、この銅のプレートを使って版画を刷るというのか。
 悲劇の版画を、遺書代わりの版画を、誰が・・・
 玄関で人声がした。棺を手配したと言っていたから、葬儀屋が届けに来たのだろう。家政婦のエレンが仕事部屋を出ていった。


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