小説ー13 ニムロッド・クラブ解散

ニムロッド・クラブ解散
連載第13回  *5*の3


 チャップマン&ホール社の一人、ウイリアム・ホールはディケンズの住まい、ファニーヒルズ・インへ足を運んだ。
 そこで、ロバート・シーマーの挿絵集に文章を付ける話を持ち出した。


 ***
< ディケンズさんは、ロバート・シーマーさんをご存じですか >
< ええ。ああ、そうだった、『フィガロ・イン・ロンドン』の挿絵、あれがシーマーさんの仕事だったかな >
< シーマーさんが釣りや狩猟をテーマにした挿絵集を出すのですが、その挿絵に本文を書いていただきたい。いかがですか >
 ディケンズが、ほほう、と言う。
< そう言われても、私は釣りや狩猟はしたことがないので興味が湧きません >
 それを聞いたウイリアム・ホールが、ちょっと困った表情を見せる。これまでに、クラーク氏や他の何人かに執筆の依頼を持ち掛けたが色よい返事はもらっていない。 < シーマーさんは釣りであるとか狩猟の挿絵が得意なんです。今回は狩猟クラブの失敗談です。【ニムロッド・クラブ】という題名だそうです。こちらとしては、早急に進めたいと思ってまして >
< 釣りや狩猟ねえ。これまでにも、似たような小説はいくらもありますよ。狩猟クラブを扱った失敗談なんか、そんな小説では読者に歓迎されないでしょう>
< いえ、小説ではなく、挿絵に本文を付けてもらいたくてお願いに上がっているのです >
< 私も次回作を用意してましてね。イギリスの風物や風俗を扱った小説です。もちろん、それだけじゃない。あちらの女性、こちらの女性と、女性を見ては口説き落とす男たちの話も盛り込んでみますがね >
 それでは狩猟クラブの物語ではなくなってしまう。これを伝えたら、シーマーは了承するだろうか。どうやってシーマーを説得しよう。ホールは悩んだ。
< その内容では、シーマーさんが・・・承諾するかどうか・・・ >
< シーマーさんが挿絵を描いてくれるんでしたね。それなら、書かせてください、私の小説を。今度は長編になるでしょうな >
 ***


「そういうわけでして、こちらの案に対して、ディケンズ氏の方が逆に提案を出してきたんです」
 これが、出版社とディケンズと交渉の内容だった。
 チャールズ・ディケンズは、シーマーが構想した狩猟クラブの失敗談、【ニムロッド・クラブ】を受け入れず、自作の小説を書くことを提案してきたのだ。
 ここで、狩猟クラブの挿絵集は、ディケンズの意向によって、その内容が大きく変えられたのである。
「それでは、ディケンズ氏が提案したのは、ディケンズ氏が小説を書き、それに挿絵を入れる形だったのですね」
 イザベラ・スミスが念を押すように訊くと、ウイリアム・ホールはそうだと答えた。
 それにしても、ディケンズの語った、似たような小説があるので狩猟クラブの話は読者受けしないというのは、単なる憶測に過ぎないし、まして、年上の人に言うべき発言とは思えない。
 【ニムロッド・クラブ】は『ピクウィック・ペイパーズ』に形を変えた。その、第一号では曲がりなりにも狩猟クラブは結成されたのである。これはシーマーにとっては受け入れられる内容だったと思われる。
 しかし、シーマーは『ピクウィック・ペイパーズ』第二号に向けて、『臨終の道化役者』の挿絵を描いている。そこにはどのような理由があったのだろうか。『ピクウィック・ペイパーズ』第二号では『臨終の道化役者』の話が始まるのであろうか。
 これも今回の取材目的である。
 イザベラはどのように質問しようか躊躇している様子だ。
 フィリップは彼女に代わって、
「ところで、『ピクウィック・ペイパーズ』の第二号はもうじき出るのですか」
 と、遠まわしに訊ねた。
「ええ、刷り上がっております。明日には店頭に並ぶ手筈です」
 エドワード・チャップマンがそう言ってフィリップに一冊の本を渡した。イザベラも本を受け取った。
『ピクウィック・ペイパーズ』第二号である。
 フィリップは手に取って開いてみた。
「ははあ、『放浪の旅役者』ですか」
 第二号、通算、第三章の題名は『放浪の旅役者』だった。そこには、フィリップがシーマーの仕事部屋で見た下絵や銅板プレートに描かれたのと同じ挿絵が載っていた。ベッドに横たわる男と、側に付き添う二人の男女である。第三章で語られる『放浪の旅役者』とは、すなわち、『臨終の道化役者』の物語だった。
「もともと『ピクウィック・ペイパーズ』は狩猟クラブの失敗談だということでしたが、道化役者の話では釣りや狩猟とは関係ないようですね」
 フィリップが核心に触れる質問を投げかけた。
「おっしゃる通りです・・・」
 ウイリアム・ホールが下を向いた。
 すかさずイザベラが問いかける。
「第二号で、突然、『臨終の道化役者』が始まるのはどうしてですか。しかも、臨終とか死の間際では悲劇になってしまいます」
「いや、そこは・・・何と言ったらいいものか」
 チャップマンは返答に窮した。隣に座るホールも困惑気味だ。
「あの日、現場に到着した私は、シーマーさんの仕事部屋を調べたんです。机の上に『臨終の道化役者』の下絵と、版画が彫られた銅の板が置いてありました」
 フィリップは当日の仕事場の様子を生々しく語った。実際にその目で見たのだから真に迫った語り口になった。
「後ろ向きに立てられてました。これにはどんな意味があるんでしょう。彼は、『臨終の道化役者』の版画を完成させた翌朝に亡くなったんです」
 少し言い過ぎたかもしれない。暗に、抗議の意思を示したのではないかと言っているようなものだ。
「それはですな」
 エドワード・チャップマン、ウイリアム・ホール、出版社の二人が考え込んだ。
「第二号が『臨終の道化役者』の物語になったのは、チャールズ・ディケンズ氏の個人的な事情なんです」
「個人的な事情ですか」
「ディケンズ氏は四月二日に結婚を控えていて、結婚の準備や引っ越しで忙しく、原稿の締め切りに間に合わないと言い出したのです。それで、旧作でお蔵入りになっていた『放浪の旅役者』、つまり、『臨終の道化役者』の話を使うことになりました」
「結婚ですって! 」
 イザベラが甲高い声を出した。
「結婚の準備で忙しかったから、原稿が書けなかったのですか。そんな・・・」
 語尾が消えそうになる。
 イザベラは落胆した気持ちになった。
 ディケンズが結婚したのはファニーヒルズ・インで聞き込んだ通りだった。ディケンズは結婚の支度で忙しく、本来のストーリーとは無関係の『臨終の道化役者』を挿入したのだ。
 おめでたい結婚と死に瀕する道化役者。祝祭と悲劇。
 これではシーマーが浮かばれないではないか。
「『臨終の道化役者』を挿入した理由が結婚だったとは・・・」
 フィリップはふっとため息をついた。
 彼にとって、ディケンズが結婚したのは初耳である。
 ディケンズは、シーマーが考案した狩猟クラブの失敗談を自作の小説に変更させた。それにもかかわらず、彼は結婚を控えていて多忙であるからという理由で、締め切りに間に合わせるため、『放浪の旅役者』、すなわち、『臨終の道化役者』を挿入したのだ。
 『臨終の道化役者』の物語は窮余の一策、言わば、穴埋めだった。
 では、シーマーはそれを納得していたのだろうか。とうてい納得したとは思えない。
 何故、自分は死に際の役者の絵を描かねばならないのかと思ったことだろう。
 さぞや、気乗りのしない作業であっただろう。
 そこへ、十四日にディケンズからの手紙が届いた。
 そこには、『臨終の道化役者』の下絵に対して、ディケンズから、あれこれ細かい修正の要求が書かれてあった。
 急いで下絵を描き直す。何度もやり直す。
 そうして四月十七日を迎えた。
「十七日の日曜日に、シーマーさんとあなたがたはディケンズ氏の住まい、ファニーヒルズ・インに招かれた、そうですね」
 会合の内容を聞き出すのは、この訪問のもっとも重要な部分だ。
 ここへきて、フィリップの質問の仕方は、犯人を尋問しているかのような調子になってきた。
「私は、十七日の夕方、シーマーさんを見かけたんです。肩を落として、うなだれて歩いていました」
 いつの間にか質問の主導権はフィリップに移っている。しかし、あまり問い詰めたのでは逆効果だ。出版社の二人が真相を喋らなくなってしまう恐れがある。
 フィリップは鉛筆を置いて手を止めた。
 イザベラは筆記を続ける。自分が記事にしなければ誰が書くというのだ。これこそ、自分にしか書けない記事だ。
 それから、チャップマンが話し出すには、さらに間があった。
「ディケンズ氏が、シーマーさんの描いた下絵に注文を付けましてね。それで、十七日に会うことになったんです」
 それは、ディケンズの手紙にも書いてあった通りである。
 ディケンズは、ベッドに寝た道化役者の表情であるとか、両脇の男女の描き方についての変更を求めた。下絵では、臨終の道化役者は嫌悪感を抱かせるような顔つきだった。ディケンズは、もう少し顔の表情を和らげるようにと指摘した。両脇の男女も若く見えるように描いて欲しいと注文を付けた。
 黙っていたウイリアム・ホールも後に続いた。
「ディケンズ氏は、明るい社交的な性格なので、ほとんど一人で喋りまくりました。人の十倍くらいの熱量を発揮してました」
 自宅に招いたホスト側としては座持ちも必要だ。それに、ディケンズには、新婚間もないホームグラウンドという心理的優越性もある。
 これに対して、ロバート・シーマーは客として招待されたというよりは、呼び出された格好だった・・・


☆ 本日もお読みいただきありがとうございました。あと二回で終わります。