連載ー18 美人画廊



 美人画廊 18話 第二章(4)ー2


* 奈々未さんの黒歴史が白日の下に・・・


 三日後、奈々未、孝夫、それに庄司画材店で集まった。少し遅れて水上愛理がやってきた。愛理は孝夫とは詐欺を持ちかけにきた際に一度顔を合わせている。庄司画材店とは初めてである。
「お二人が揃っているということは、アルファ画廊さんに対して例の手法は使わないんですか」庄司画材店が奈々未と愛理を交互に見た。
「私が購入を持ち掛ける担当」愛理は自分の胸を指してから、「奈々未は売り込み担当なの。きちんと役割分担していたんだけど、悪い噂が広まったせいで詐欺がやりにくくなったわ」
 と答えた。
「噂を流したのはこの人」奈々未は庄司画材店を指した。「ついでに言うと、向いの美容室の甥って人は警察官」
「けいさつ~」
 愛理が大げさに手を広げた。
「こんな素晴らしい環境なので私は心を入れ替えました。これもみなさんのおかげです」
 奈々未は庄司画材店と孝夫に向かってペコリと頭を下げた。
「騙す方も褒められませんが、売れる見込みのない版画でも、いずれは誰かが買ってくれるかもしれない。そうなれば詐欺とは言えないでしょう。騙される方も似たり寄ったりですわ」
 庄司画材店は、特にこのお二人のような美人が相手では私でも騙されますよと付け加えた。
「ヤラしそうなオヤジがいたのよ。川崎の画廊の、顔がテカテカして腹が出たオヤジ。アイツ、私たちを見たら『詐欺師だ』とか叫びそう・・・その点、新堀画廊さんで良かったわね」
 愛理は、詐欺ではなく正当な商取引であると、今回の手法を説明した。
 お客として店を訪れ普通に版画を購入するのである。しかも、アルファ画廊の社長は女性だから愛理が出向くよりも男性の方が適任だ。愛理が手配したのは商社の営業マンである。仕事柄、人当たりはいいし話術も得意だ。しかも創業者の次男で若くて超イケメンとくれば、三拍子揃っている。アルファ画廊の女性経営者の心をくすぐるようなセリフを言って油断させようというのである。
 一時間ほどして愛理のスマホにメールが届いた。イケメン営業マンからである。添付された写真を確認した。
「おお、これだ」庄司画材店が大きな声を上げた。吉井孝夫も画像を見て、間違いないと頷いてる。新堀画廊にある菱川竜太郎の山水画と対になった作品を手に入れることができた。作戦は見事に成功したのであった。
「どう、詐欺師でも役に立ったでしょう」
 奈々未はいささか鼻が高い思いだ。
「アルファ画廊には、クルーズ船に版画を納入する仕事を持って行かれたし、目の前で版画を横取りされたけど、これで少しは気分が晴れたわ」
 そう言って孝夫の肩を軽く叩いた。
「今度ばかりは愛理さんに感謝です」
 孝夫がそう言うと、
「あら、私は何もしてないわ」
 確かに愛理は自分では動いていない。アルファ画廊には営業マンが一人で行ってくれたのだ。
「こっちに向かうっていうから、三十分で来るわ」
 その男性が戻ってきたら代金を清算し、幾ばくかの謝礼を上乗せして渡すだけだ。
 商社の営業マン、創業者の息子でイケメン。何という好条件なのだろうか。奈々未は孝夫がいるにもかかわらず、胸が高鳴るのを押さえられなくなった。
「愛理、その彼と付き合ってるの?」スタッフルームで小声で尋ねる。
「ゼンゼン」愛理は手を横に振った。「もしかして、奈々未のタイプかも、そうね、絶対好きだわ」
「どうしよう・・・孝夫さんから乗り換えちゃおうかな」
「会ってからがお楽しみよ」
 愛理が小声で言った。
「ここの社長にバレないように・・・私がうまくやってあげる」


 ところが・・・菱川竜太郎の絵を持って現れた営業マンだという男性を見て奈々未は呆然とした。
 驚いて声も出ないくらいだ。
 彼は奈々未がキャバ嬢時代に通い詰めたホストだったのだ。忘れもしない、火乃世という名前のホストであった。
 火乃世は髪をピタッと七三分け、仕立てのいいスーツに身を包んでいた。どこから見ても正真正銘のサラリーマンである。しかも、イケメンぶりは当時のままだ。
「この品物でよろしいでしょうか、ご確認ください」
 火乃世が丁寧な口調で言った。孝夫が受け取って軽く礼をして、庄司画材店とともに確認をした。
「菱川竜太郎の絵に間違いありません。いやあ、まさか、三十年ぶりに再会できるとは思ってもみなかった」
 庄司画材店は、失われた襖絵の習作が二つとも揃ったので興奮気味を隠せない様子だ。さっそく鑑定士と連絡を入れると言ってスマホを手に見せの外へ出ていった。
「この度は、ご足労おかけしまして、ありがとうございます」
「そうですか、お役に立てたようですね」
 孝夫は火乃世を労い、型通りの挨拶を交わした。
 奈々未は襖絵も何もそんな物はどうでもよくなった。今の恋人と元カレが、いや、半分同棲している恋人と遊びまくったホストが対面しているのだ。
 ヤバい、ヤバい・・・どうしてこういうことになってしまったのだ。


 孝夫と火乃世が名詞を交換している。
「ヒノさんは、医療関係のお仕事ですか」
 火乃世の苗字は『ヒノ』というらしい。
「ええ、ベッドや介護用品、リネン一式から、白衣やマスクなどを扱っています。主に病院、介護施設が取引先です」
 孝夫が奈々未を振り返った。
「奈々未さん、コーヒーをお願いします」
「は、はい」
 コーヒーを淹れるのをきっかけに逃げようとしたが、身体が強張って動けない。
「ああ、いえ、私にはお構いなく。駐車場が見当たらなくて路上に停めたので、すぐに失礼します」
「でしたら、うちのアパートの駐車場をお使いください」
 何も知らない孝夫がアパートの駐車場に停めるようにと勧めた。余計なことを言うな、と頭を引っ叩いてやりたくなる。
「奥さん、本当にお構いなく・・・こちら、奥様でいらっしゃいますよね。初めてお目にかかります」
 火乃世が何食わぬ顔で奈々未を見る。
「愛理さんから聞いていましたが、お綺麗な方ですね。こんな美しい方と結婚できるとは羨ましい限りです」
 初めてじゃないでしょ。あんたにはキャバ嬢の稼ぎを全部つぎ込んで何百万も貢いだじゃないの。病院関係の営業マンが聞いて呆れる・・・あんたがやれっていうから白衣を着てベッドで相手したのよ。
 汗が出てきた。このままでは、キャバ嬢、ホスト狂いの黒歴史が暴露されてしまうかもしれない。
「そうそう、新堀画廊さん、彼は正当な取引としてその絵を買ってきてくれたの。清算してもらえませんか」
 愛理がそう言って火乃世から領収書を受け取ると孝夫に渡した。
「一万円ですね」孝夫が支払いをするためにスタッフルームへ入った。後を追うように愛理が続いた。清算するのを口実に孝夫を連れ出してくれた。


 奈々未は火乃世に駆け寄った。
「用が済んだら、早く帰って」
「元気そうだね、奈々未さん。結婚するだって、ここの社長さんと」
「どうでもいいでしょ。あなたには関係ないの」
「つれないことは言うなよ」
「いいこと、あのことは黙っていてよ。知られたら結婚どころじゃなくなる。ヤバ過ぎるんだから」
「今の奈々未さんからは想像もできないね、あんな恥ずかしい格好してたなんて・・・四つん這いで」
「やめてったら」
「ネットにアップした写真がまだ残ってるんだ。それを見て思い出すんだよ、奈々未さんのこと」
「黒歴史なんて私はきれいさっぱり忘れた。だけど、貢いだことは一生忘れないから」
「さっきの版画を売るんでしょう。高く売れれば、画廊が儲かって、少しはホスト時代のお返しができるんじゃないかと思ってね」
「そ、それもそうね・・・」
 菱川竜太郎の絵を売り込めば新堀画廊にはまとまったお金が入ってくる。奈々未が火乃世に貢いだお金は戻ってこないけれど、回りまわって孝夫から貰うことになるわけである。
「愛理さんに頼まれたんだ。奈々未さんのために力を貸してくれっていうから、この仕事は無報酬で引き受けたんだ」
「そうだったの、さすがは火乃世ちゃん、ありがとう、大好き」
 奈々未はたちまち浮気心が湧いてきてしまった。
 ホスト遊びをしていたころが蘇ってきた。火乃世は無報酬のボランティアのようだと言うが、仕事のお礼は多めに出してあげたい。
「謝礼を弾むよう社長に頼んでくる」
「ご心配なく、愛理さんから版画を渡されてアルファ画廊に百万ばかり売ってきた」
「なんですって」
 どうも話がうますぎると思った。
 愛理はアルファ画廊に版画を売りつけてきたのだった。アルファ画廊はクルーズ船の仕事を受注したというからあちこちから版画をかき集めていたはずだ。そこに付け込んだのである。
 孝夫が戻ってきたので、奈々未は慌てて火乃世から離れた。
 吉井孝夫が謝礼を渡すと、愛理と火乃世が何事もなかったかのように帰っていった。二人の過去を気付かれていないか心配だったが、どうやらうまく切り抜けられた。


 入れ替るようにして外で電話していた庄司画材店が入ってきた。
「鑑定士は明日なら都合がいいというので、さっそく行ってきます」
 庄司画材店は二枚の絵をテーブルに並べてじっと見入っている。
「いやあ、再会できるとは奇跡だなあ」
 よほど嬉しいのだろう、奇跡、再会と何度も繰り返した。
「ところで、新堀画廊さんとしては、これをどのように扱うつもりですか」
 庄司画材店が孝夫に尋ねた。
「そうですね・・・」
 孝夫が腕組みをする。
「オークションにかけることも考えてみたんだけど、うちの店の名前が出ると、いずれはアルファ画廊さんの耳にも入ってしまう。それは避けたいと思う。愛理さんたちにも迷惑は掛けたくないし」
「となると、コレクターに売るか、あるいは菱川竜太郎美術館に買ってもらうか、どちらかですかね」
 奈々未としては少しでも高く売って欲しいところだ。個人美術館が建つほどの著名な画家だから、最低でも三百万円は譲れない。取り分は新堀画廊が半分で、庄司画材店と鑑定士が残りを分ける。この辺りが妥当な線だ。そうすれば、自分にもたっぷりご褒美がくるだろう。
 ところが、孝夫がとんでもないことを言い出した。
「たとえ下絵であっても、お寺の襖絵が失われてしまったのでは大変貴重な品物です。美術館に所蔵してもらえればこの絵も喜ぶでしょう。庄司さんは、それでいいですか」
「もちろん、私もそれを願ってます」
 庄司画材店が我が意を得たりとばかりに大きく頷いた。
「これを、今は亡き菱川竜太郎氏にお返しできるなら本望です」
 お返し・・・返すのではなくて高額で売るのではなかったか。
「僕は手に入れるのに掛かった必要経費だけ戻ってくればそれで構わない。庄司さんと鑑定士さんの手数料を考慮しても、菱川竜太郎美術館には無理のない価格で買い取ってもらいましょう。寄贈してもいいくらいです」
「そう言っていただけると嬉しくて・・・いや、新堀画廊さんの手に渡って良かった。感動しました」
 庄司画材店は心なしか声が震えている。修業時代を思い出して泣いているのだ。
 社長の孝夫と庄司画材店は、限りなくタダに近い金額で美術館に寄贈しようというのである。
 寄贈だの感動だのと聞いて、奈々未は頭がクラクラしてきた。
 いい大人が感動している場合ではないだろう。
 本命の孝夫と貢ぎまくったホストの火乃世とが顔を合わせ、黒歴史が明るみに出ないかとヒヤヒヤしたというのに・・・


 グスッ
 奈々未の目頭が熱くなった。
 もしかして、感動しているのだろうか・・・
 こっちまで泣けてくるわ。
 スリルと感動をありがとう。