連載ー17 美人画廊



 美人画廊 17話 第二章(4)ー1


 版画の売れ行きは好調である。新堀画廊では販売用の版画が足りなくなって知り合いの画廊から融通してもらっているくらいだ。美術品のオークションで販売用のインテリア版画を仕入れることになった。
 画廊に展示する世紀末絵画はおもにイギリスの画商から購入している。社長の孝夫は数日前にロンドンの画商にバーン=ジョーンズの版画を発注した。
「シリーズものなのだけど、全部揃うかどうかはわからない」ということだった。


 画廊の定休日、奈々未は社長の吉井孝夫にオークションに連れていってもらった。オークションといっても、そこは業者間の取り引きのような場所だった。
 大きな会議室では道具類のセリがおこなわれていた。参加者の前を人形や掛け軸、花瓶などの入った箱がベルトコンベアに乗って次々と運ばれてくる。セリ人の三万、四万という声が飛び交っていた。
 道具のセリは見るだけで素通りし、版画を置いてある部屋に行った。テーブルの上には版画の入った箱がズラリと並んでいる。それぞれの箱に十数枚入りで八万円とか、十万円などの値段が付いていた。仕入れ値は一枚当たり数千円、高くても一万円程度である。それを一枚数万円で販売するのだから、半分くらい売れれば元が取れる計算だ。
 孝夫は「洋風版画」の風景と抽象画を一箱ずつ選んだ。買い方は簡単で、箱に付いているナンバーカードを持って会計カウンターで支払いをするだけだった。入札方式ではなくて早い者勝ちである。品物は宅配便で送ってくれるのだが数日かかるので、車に積んで持って帰ることにした。
 日本画のコーナーにも行ってみた。
 これまで新堀画廊では日本画は扱っていなかったが、新しい分野も始めることにした。社長の孝夫は商売を拡張する気になったのである。
 ナンバーカードが付いている箱はまだ購入者が決まっていない。
「11番と12番・・・」
 二つ並んだ番号の箱が残っていた。孝夫がどちらの箱にしようかと迷っている。
「幾らなの」
「どっちも六万円、予算はあるんだけど」
 すると、そこへ赤いドレスの女が現れ11番のカードを手に取った。
「これ、うちが買うわ、いいでしょう、新堀画廊さん」
「はい、ええ、どうぞ、見ていただけですから」
「とにかく数が必要なのよね、忙しくて、版画はいくらあっても足りないわ」
 奈々未はムッとした。
 その画廊の女は孝夫が買おうとしていた版画を横取りしたのだ。しかも、孝夫は見ていただけと言って、あっさり譲ってしまった。初めて日本画を取り扱うのだから、在庫を増やすために二箱とも買うべきだった。
 赤いドレスの派手目な女。化粧は厚塗りで下品な香水の匂いが漂う。奈々未はナチュラルなメイクだったし、チュニックにワイドパンツ、服もおとなしめだった。
 しかも相手は大きな胸だった。顔では勝っているけど胸のサイズでは負けた。
「持っていかれたじゃん」
「早い者勝ちなんで仕方ありません」
「どこの店よ。私が取り返してくる、あの女から」
 孝夫を横取りされたらどうしようかという思いがこみ上げた。
 あの女と重なって見えたのだ。元カレの木下康司を奪い取っていったあの女。あのオンナに男を盗まれた・・・
 奈々未は孝夫まで奪い取られるのではないかと不安になった。
 孝夫は絶対に渡さない。
 素早く「12番」の札を引きはがし、「取ったわよ」と、孝夫を見た。


 奈々未は車に乗り込んでもまだプリプリしていた。
「ダメよ、さっきみたいに遠慮しちゃ。商売なんだから」
 ちょっときつい言い方になる。
 孝夫の目の前で版画を強引に持っていったのはアルファ画廊の女社長だということだった。孝夫によると、アルファ画廊は新堀画廊も参加したクルーズ船の版画入札で仕事を落札した相手だった。二度までも横取りされた形だ。
「大きな仕事を受注したから版画が大量に必要なのでしょう。でも、クルーズ船に日本画は似合わないな」
 それもそうだ。ということは、オークション会場で版画を横取りしたのは、新堀画廊に対しての嫌がらせ行為だったと思えてくる。
 奈々未は運転中にもかかわらず孝夫に腕を絡ませた。
「ねえ、パアーッと酒でも飲もうよ」
 気分転換にお酒を飲みたいところだったが、車を運転しているのではお酒は禁物だ。すると、孝夫がアウトレットに行こうと言った。服を買ってくれるのだ。そこでようやくカッカしていた奈々未の怒りも収まった。
 アウトレットの広い店内をあちこちの店を見て回った。チュニック、ニットのプルオーバー、クラッシックなロングワンピース、それに美脚パンツも、奈々未がおねだりしたものは全部買ってくれた。孝夫が茶系の緩やかなロングドレスを手に取って勧める。茶系はあまり持っていないのでそれも買ってもらった。


 オークションから帰った翌日、新しい服を並べてファッションショーをした。レースの切り替え付きチュニック、ハイネックのパーカー、ニットのプルオーバーとジャンパードレス、どれもいい具合にお似合いだ。最後に着た花柄のレースのワンピースを孝夫に見せようと階下に降りた。
 スタッフルームにお客の姿があった。
「まあ、奥さん、きれいですなあ」庄司画材店がドレスアップした奈々未を見上げる。
「買ってもらったのよ、オークションのついでに・・・似合う?」
「「似合います」」孝夫と画材店が声を合わせた。
「うれしい」
 奈々未は孝夫の側に座った。
 二人はオークションで購入した版画を開封しているところだった。庄司画材店は日本画の版画が十数枚入った箱を見ていたが、その中の一枚を手に取り、
「なんか、見覚えがあるなあ。うむ」と唸った。
 彼が手にしているのは、雲が掛かる山と松の木が描かれた水墨画風の作品だ。
「吉井さん、これは版画ではありません」
 どうやらオークションの業者が間違って版画の箱に分類してしまったようである。確かに、本画と言われても見た目には区別がつきにくい。
「その絵、どうかしましたか」孝夫が尋ねた。
「気になる・・・ずっと昔のことなんだけど」庄司画材店はそう前置きした。
「昭和五十年くらいだった。その頃、表装の技術を学ぼうと思ってね」
 庄司画材店を始める前、一年ほど経師屋で修業をした。そこで寺の襖絵を張る作業を手伝ったことがあった。福島の海岸の近くに建つ寺だった。その僧堂を改築する際、襖絵を描いてもらうようある画家に依頼した。寺の襖絵を手掛けたのは菱川竜太郎という画家だった。
「若いときだったから、襖を一本と数えることも知らなくて、親方に叱られているばかりだった」
 修業中を思い出したのか、遠くを仰ぐようにしていたが、
「東日本大震災でその寺は倒壊した。本尊だけは運び出したが、襖絵は失われてしまったということだった」
 そう言って庄司画材店は顔を伏せた。
 それを聞いて孝夫も奈々未もしゅんとなった。
 菱川竜太郎は院展に入選するほどの腕前であったが、すでに亡くなって久しい。生まれ故郷には個人の美術館が建てられているそうである。
 孝夫がネットで調べると、確かに「菱川竜太郎美術館」が存在していた。画家の生まれ故郷、静岡県の下田市である。美術館のホームページにアクセスしてみたが、襖絵、もしくは下絵らしきものは展示、所蔵されていないようだった。
「これは襖絵のための下絵として写生したものではないかと思う」
 庄司画材店によると襖は全部で四枚あり、すべてに山水画が描かれていた。新堀画廊にあるのは中央の二枚のうちの右側ではないかということだ。
「もう一枚、これと似たような物はありませんか」庄司画材店がそう言うので、箱の中から全部取り出して調べてみたが同じような物は見当たらない。
「一枚だけでも貴重なものだけど、二枚揃っていればなあ」
「高く売れそうですか」
 奈々未が訊くと、
「百万くらいまでなら、その金額を出す人がいるはずです」
 この絵が百万円で売れると聞いて驚いた。襖絵が失われてしまったので、習作の写生画であっても貴重な作品なのである。
「ただし、左右の二枚、揃っていることが条件です。それを鑑定に出して、菱川竜太郎の作だというお墨付きが必要です」
「この絵は日本画のコーナーで見たのですが、12番の箱に入っていました。隣にあった11番はアルファ画廊さんが購入しました」
 孝夫がオークションで手に入れたときの経緯を話した。
「この絵と対になった物はアルファ画廊さんの手に渡ったかもしれません」
 版画を分類したオークションの担当者が、11と12番の箱に分けて入れた可能性も考えられる。そうすると、もう一枚は11番の箱、すなわちアルファ画廊が持っていることになる。
「あのとき、孝夫さんは迷ってたのよ、そしたら、あの女が横取りしていったの。私が取り返せばよかったんだわ」
 奈々未は腕ずくで奪い取るのだったと後悔した。
「今から行って、私が分捕ってくる」
「奥さん、たいそうな威勢がいいようですが、分捕るというのはいけませんよ」
 庄司画材店にたしなめられてしまった。
「じゃあ、適当な口実を付けて手に入れましょうよ。孝夫さん、行きなさい。社長なんだから」
「僕がですか」
 孝夫は奈々未の剣幕に押されて首をすくめてしまった。これではアルファ画廊に行っても追い返されるのが関の山だ。
「社長が行ってはいけません、何か裏があるなと感づかれます。といって、私も顔を知られてますし」
 孝夫も庄司画材店も行きづらい状況である。
「私が行く」奈々未は意気込んだ「愛理と二人で乗り込んでみようか」
「愛理さん? 誰ですか、その人」
「友達よ。騙すのが得意なの」
「騙すって・・・詐欺みたいなことをするんですか」
「みたいじゃなくて、詐欺そのもの」
「えっ、詐欺ですか」
 庄司画材店の開いた口が塞がらない。
「そうなの。実は、版画を売りつけようとしたんだけど、孝夫さんに見破られて失敗しちゃった。愛理も詐欺の仲間なの」
「美人の二人組という噂は当たってたいたんですね」
「詐欺がバレたんだけど、それが縁でバイトして、働いているってわけなんです。ねえ、孝夫さん。そうだよね」
「ええ、そういう詐欺商法があることを庄司画材店さんに教えてもらったので未然に防ぐことができました」
「私のアドバイスがお役に立ちましたか」
「庄司さんが余計なことを耳に入れたから詐欺をやりそこなったのよ。役に立つどころか邪魔をされたわけ」
「不思議な縁ですな。それがこうして、一枚の絵を手入れようと相談してるんですから」
「これって儲け仕事なんでしょう、庄司さん、一口乗らない? 」
 事は早い方がいい。アルファ画廊が菱川竜太郎の絵だと気が付く前に実行するのだ。


*本日もお読みいただきありがとうございました。