連載ー16 美人画廊

 



 美人画廊 16話 第二章(3)ー2


 *今回掲載分も絵画の考察です。


「この間、台風が来たでしょう」ふいに樋口先生が話題を変えた。
「十月の台風19号、千曲川が氾濫して大勢の人が亡くなった。あのとき、東京で河川敷が増水してホームレスが避難所へ行ったんだけど、住所が不定では入れないと断られたそうだ」
「それは酷いな」孝夫も同調した。「避難所へ入れなかったら、あの雨でどこへ行けと言うんだろう」
 ホームレスは都市部の公園や河川敷で暮らしている人が多い。台風のときにはそれこそ一番影響を受けてしまう。
「避難所は区民のためだからという理由で断ったようだ」
 樋口先生は新聞で知ったそうだ。
 奈々未は避難所の話が出たので
「たぶん、そのときだったと思うんですけど、孝夫さんは自治会の防災組織から連絡があって、お年寄りを避難所まで連れて行ったんですよ」
 と言った。
「それは大変だったね」樋口先生が感心している。
「他の自治会の人まで避難させたんです」
 奈々未が言い出さなかったら孝夫は黙っていたに違いない。そこが彼の奥ゆかしいところである。
「樋口先生は、ホームレスとか困っている人を援助してるんですか」
 奈々未はそう尋ねた。
「僕の大学には福祉学科があって、そこの助教授と親しいので、ボランティアとして寿にいくんですよ。学生を引率して何度か行きました」
 彼は当たり前のように「ことぶき」という言葉を使った。地元の人、あるいは関係者しか使わない言葉である。
「吉井さんも年末にはボランティアに来てくれるんですよ」
「一日か二日だけだどね」
 奈々未は孝夫が寿地区でボランティアをしていることは初めて知った。
「年末から年始にかけて、役所はどこも閉まっているでしょう。その期間に炊き出しとか、医療相談をおこなう年越しボランティアがあるんです」
「今年の年末は参加できるかどうかわからない。ダイコンやニンジンを送っておきましょう」
 孝夫は農家さんに頼んで、炊き出しに使う野菜を寄付するのだそうだ。曲がっていたり、形が不揃いな規格外でも喜ばれるということだった。
 樋口先生はそこで手帳を取り出した。
「来年、2020年は曜日の関係で二日長くなりそうだ」
 役所は一月三日まで休み、四日に開庁するのだが、2020年は土日に当たるため六日にならないと役所が開かない。四日と五日もボランティア活動をおこなうというのである。
「奈々未さんは寿町のボランティアに関心があるの」
「石川町の会社にいたことがあるんですよ、だから、関心があるってわけじゃないけど、炊き出しとかは見たことがあります」
「そうですね、自分の目で見ておくだけでもいいですよ」
 吉井画廊ではラファエル前派の版画を展示して見せるだけで、画商としては売買に熱心ではない。しかもアパート経営もしているので孝夫は恵まれた暮らしを送っている。社会の底辺とは無縁だとばかり思っていた。それが、寿地区でのボランティアに協力していたと事実を知って、奈々未はあらためて孝夫が好きになった。むしろ尊敬の念を感じるほどだ。


 そこで話は雑誌に寄稿する原稿に戻った。
「ファイルズの『救貧院臨時宿泊所の入所希望者たち』のような社会の根本問題を描いた絵画は、今で言えば報道写真の役割を果たした。ところが、次第にこれらの絵は姿を消してしまったんです」
 樋口先生が原稿のページを捲った。
 このような悲惨な現実を描いた絵を家庭に飾った場合を考えて見れば分かることだ。本来は隠しておかねばならない状況、あるいは改善されなければならない状況である。19世紀には富を得た新興階級、あるいは裕福な庶民が絵画を求めるようになった。悲惨な現実を描いた絵画は、一家団欒の温かい居間を飾るにはふさわしくなかったのである。さらに、美術は理想的な美を追求するものであるべきだという批評も寄せられた。そのため、社会派リアリズム絵画は衰退していったのである。


 第三稿はまだ草稿、もしくは構想段階なのだがと断って吉井孝夫が話を始めた。
 印象派の最初の展覧会は1874年だった。その後、スーラなどの新印象派が出てきて、さらにセザンヌ、ゴッホ、ゴーギャンなどは独自の絵画を制作した。1900年以後は表現主義、キュビズム、ダダ、抽象絵画、シュルレアリスム、さらには、アクションペインテングやパフォーマンスアートが登場してくる。これが一般的な美術史である。
「絵画の傾向、運動は時系列で考えがちだけど、印象派が途絶えた後にキュビズムが出現したのではない。それぞれの画家は活動時期が重なっていたから、印象派のルノアールの晩年にはすでにピカソが「アビニョンの娘」を描いていたのです。つまり絵画の運動は単独で存在したのではなく、相互に関係を持っていたといってもいいんだ」
 抽象的絵画の先駆者ピカソでさえ、サティの弾くピアノに合わせて乱痴気騒ぎをするダダを見て閉口したということだそうだ。
「これらを美術史だけの時系列にとらわれず、視線を変えて、文学や音楽を加えた横軸で考えると、これまでとは違った面が見えてくる」
 たとえば、1850年ごろから70年代には、「共産党宣言」、あるいはマルクスの「資本論」、ダーウィンの「進化論」といった著作物があり、文学ではドストエフスキーの「罪と罰」トルストイの「戦争と平和」も書かれている。「不思議の国のアリス」の出版は1865年である。音楽に関してみてみると、ワーグナーのオペラ「ニーベルングの指環」は1853年に台本が書かれ、作曲が完成したのは1873年頃だった。そして、英国世紀末絵画、ラファエル前派はまさにこの時期と重なるのである。
 絵画は複製版画によって広く知られることもあったが、音楽はそうはいかなない。聴衆の前で演奏されるのは一回だけである。レコードやCDのない時代とあって、これが世の中に伝わるのには大変な時間を要したのだ。
 知的好奇心に富んだ話、大学の授業のようになってきた。
「当時は今のように気軽に旅行はできないし、通信手段は未発達だったから、現代のように芸術家がお互いに行き来したり、影響し合っていたとは思えない。それでも、ディケンズがラファエル前派のミレーの描いた「両親の家のキリスト」を批判したのは有名だ・・・これは樋口先生の方が詳しいですね」
「ディケンズは「オリバー・ツイスト」や「クリスマス・キャロル」を書いた人です」
 樋口先生が話を受け継いだ。
 名前は聞いたことぐらいはある本だが、奈々未はどれも読んだことはない。
 そのディケンズがミレーの描いた「両親の家のキリスト」について、イエスを「みっともない赤毛の少年」、マリアを「イギリスの安酒場でも浮いてしまうほどだ」と酷評したそうだ。
「批評内容はともかくとして、ディケンズがミレーの絵を見たことがあったと推測できますね。ディケンズの著作にはクルックシャンクやシーマーなどの挿絵画家が挿絵をつけているのだけど・・・ちょっと専門的になり過ぎましたかね」
 ますます話が難しくなってきたのでコーヒーを淹れて休憩した。


 この続きは資料を捲りながら版画や絵画の説明だけになった。
 最初の版画は、エッグという画家の描いた『過去と現在・三部作』。
 これは三枚の連作絵画で、妻が不倫をして家庭は崩壊、最後はテムズ川の橋の下で寝泊まりする元妻が夜空を見上げているというシリーズ物だ。ヴィクトリア朝の英国では女性の不倫など許されるものではなかったそうだ。
 次のページにはそれまでとはいささか雰囲気の異なる絵画があった。
 天井の高い大広間に横長のテーブルがある食堂の光景である。
 そのテーブルの両端、短い辺に二人の人物が座っている。画面の右手には初老の男、左側にはうら若き女性だ。女性は椅子を引き、食事には手を付けようとはしない。二人は夫婦なのだが、女性の方は財産目当てで老人と結婚したものの、男性に飽きて、ふて腐れている。この結婚は明らかに破綻しているのである。
 オーチャードソン作『功利的結婚』という絵だった。
 説明文によれば、ヴィクトリア朝の英国の上流階級では、この絵のように夫婦は長いテーブルの短い辺に座り、離れて食事をするのが慣習だったというのである。
 資料集の絵を見ていた奈々未は、
『財産目当てで結婚しておきながら妻は夫に飽き、浮気が発覚して離婚、ついには乳飲み子を抱えて町を彷徨う・・・』
 というストーリーが思い浮かんできた。夫の財産を当て込んだ功利的結婚、浮気の発覚という言葉には身につまされる思いである。
 社長の孝夫は画廊の他にアパート経営をしているので、安定した結婚生活が保障されている。先日は、マンションの家賃まで肩代わりしてもらう約束も取り付けた。功利的結婚を目指して邁進している最中だ。それでも、貯金通帳を見るまでは安心できないと強く思うのだった。
 浮気はバレなければいいのである。パパ活やらホスト遊びはすでに過去のことだ。ホストに貢いだことなどは黙って隠し通すのである。
 難解な美術の話も現実に置き換えれば手に取るようにわかりやすい。
 今夜はピッタリ側へ寄ってご飯を食べることにした。『功利的結婚』の絵のように離れて食事していては愛情が湧かない。食事中からベタベタくっついて愛情をたっぷり振りまいてあげよう。
 ご飯を作りと後片付けが孝夫の仕事であるのは言うまでもない。それが愛というものだ。


* これから先は、今までの伏線が解決?してまいります。伏線のおさらいです。


 ・ 奈々未さんは以前に詐欺を働き、まんまと騙しました。
 ・ 社長の孝夫に近づいたのは、あわよくば結婚詐欺もと考えていたからです。
 ・ 奈々未さんはホストに貢いでいました。