連載ー13 美人画廊



 美人画廊 13話 第二章(2)ー1


 *本日もご訪問くださりありがとうございます。


 八月の末、連日の猛暑が続いていた。
 その週末には版画家、本地隆明の個展が予定されていた。新堀画廊にとってはめったにない大掛かりな個展である。版画家の本地隆明は風景画を得意とする版画家で、県の美術家協会の副会長、大御所だ。
 ここ数日、社長の吉井孝夫はいつになく緊張していた。奈々未が「今夜なに食べる」と尋ねてもうわの空だったりする。昨日も画家のマネージャーと打ち合わせをしてきたのだが、帰ってきたらリビングで電気も点けずに考え込んでいた。
 先日の陶芸教室の作品展とは違うことは奈々未にも分かる。あのときは陶器を購入した人と記念のツーショット写真を撮って売り上げを伸ばした。しかし、今度はそうはいかないだろう。あのような手法を使ったら版画家の本地先生に失礼になってしまう。色仕掛けで版画を売ったとも言われかねない。


 作品の搬入は木曜日から始まった。マネージャーである版画家の実弟、それに庄司画材店の社長が来た。庄司画材店は額縁や絵の具などの画材を扱っている店で、新堀画廊の開店以来の付き合いだそうだ。吉井孝夫に絵画詐欺の手口を教えたのは画材店の庄司真一だった。
 新堀画廊の吉井孝夫と画材店の庄司真一が次々と版画を壁に掛けていった。奈々未は黒のリクルートスーツに身を包んで版画を抜きだした空き箱を片付けた。
「銀座のデパートの個展は芳しくなかった。場所は良かったんだけど、お客の入りはさっぱりでした」
 マネージャーは今年の一月におこなった個展の売れ行きが良くなかったと嘆いた。
「新作ですか、これ」
 孝夫が横浜の山下公園を描いた版画を見て言った。
「市内の観光名所、十二か所を選んで製作する予定なんだけど、完成したのは半分だけです」
 みなとみらい、元町、中華街の門、それに山手の西洋館などの絵があった。
 奈々未は西洋館の版画の横に立った。
「社長、画廊のホームページに載せましょうよ、写真、お願いします」
 右手を出してポーズを取ると、孝夫がスマートフォンを取り出した。奈々未の狙いはホームページに掲載するだけではない。
「ほら、この間、カルチャー教室の陶芸展があったじゃない」
 思い出したようにそう言ってみた。本地画伯が銀座で開いた個展では売れ行きが伸びなかったようだ。それなら、こちらには陶芸展で使ったツーショット写真作戦がある。
「陶器を買ってくれた人と奈々未さんが記念写真を撮ってみたら、ほぼ完売したんです。でも、カルチャー教室の生徒でしたからね」
 社長の孝夫はあまり乗り気ではないような様子だ。庄司画材店は「記念写真はおもしろいアイデアですね」と前向きである。奈々未を見ながら、「これだけの美人なら、展覧会のいい思い出になる」と言った。画家のマネージャーは半信半疑という表情だった。
 夕方に画家の本地隆明が飾り付けの状況を見に来た。孝夫も加わって版画の位置、照明の具合など細部をチェックしている。そこへ盛花が届けられた。足つきの台に飾られた花が二台、二つとも入り口付近に置いた。 
 それを見ていた本地隆明が、盛花の側にいる奈々未にポーズを取ってくれないかと言った。奈々未をモデルにしてスケッチしようというのである
 絵のモデルになるのは初めである。奈々未は言われたとおりに左を向いた。ランの花を引き寄せ、香りをかぐようにして軽く目を閉じる。
「いいよ、そのままね・・・ああ、きれいだ、きれいだ」
 本地先生はサラサラと鉛筆を走らせ十分ほどで描き上げ、その絵を奈々未に向けた。
 そこにはサラサラとした髪をなびかせ、左を向いてランの花を愛でる奈々未がいた。半分閉じた目はそこはかとなく妖艶で、やや大きめの鼻とふっくらした頬が絶妙なバランスを醸し出している。奈々未が着ている黒のスーツは、袖が開いたブルーの服に変えられていた。
 奈々未は、
「ステキ・・・」
 と言ったきり、あとが続かなかった。
 版画の飾り付けを終えると、本地隆明はマネージャーと引き揚げていった。
 奈々未は吉井孝夫から展示作品や販売方法の説明を受けた。
 今回の個展では、リトグラフの版画が十五点、他に水彩画が二点ある。本地先生が奈々未をモデルに描いたスケッチは庄司画材店が額装して飾られることになった。


 版画は展示中の現物を売るとは限らず、購入者には別に用意した物を届ける仕組みである。版画の左下の余白には『3/120』と書かれている。これは百二十枚作製したうちの一枚であることを示している。ただし、順不同なので、三番目に摺られたという意味ではない。
 今回は作品ごとに販売枚数が五枚から十枚程度と決められている。購入が決まった場合は作品のラベルに赤丸のシールを貼り、お客が検討中のものには青丸のシールを貼ることになっていた。売れた版画はその都度パソコンに打ち込んで管理していくのである。
 版画の価格は八万円から十二万円まで、水彩画は三十五万円だ。
「マネージャーの話では目標は二百万円程度だ。銀座でも売れなかったっていうし」
 いよいよ始まるというのに、社長の孝夫は弱気である。
「個展では手数料が入るんですよね」
「売り上げの三割、つまり、二百万円なら、六十万円を手数料として受け取ることになっている」
「だったら、目標は四百万、強気でいこうよ。売れるためなら、陶芸展のようにツーショット写真もオッケーだからね」
 プロの画家にツーショット撮影では失礼に当たるかと思った。だが、奈々未をモデルにして絵を描いたくらいだから、本地隆明はすっかり気に入ってくれたのである。成り行きでは記念撮影作戦だってなんだって構わない。売り上げが四百万なら手数料収入は百二十万円になるのだ。


 版画展はオープニングの金曜からお客がたくさん訪れた。
 社長の孝夫によると、初日に来るお客は多いのだそうだ。会期末になっても作品の大半が売れ残っているのは、お客にとっても、画家にとっても芳しくない。その点、オープンしたばかりであれば、お客としては見ているだけでも義理が果たせるというわけだ。
 しかし、勢いをつけるためには初日こそが勝負なのである。
 お客の中には、奈々未の写真が載ったホームページを印刷して持ってきた人もいた。しかも、単なる広告用に使われたのではなく、本人が画廊にいて案内したり、コーヒーをサービスしているのである。
 そのうえ、入り口に置かれたイーゼルスタンドには、画家が描いた奈々未の横顔の絵が飾られている。
 これが相乗効果をもたらした。
「これあなたですか」「絵のモデルに会えてうれしい」などと言ってくる。奈々未を見て「女優さんですか」と訊いた人もいた。『非売品』の札が付いているのだが、それでも価格を尋ねられた。
 中年の男性から、絵の側に立って記念撮影をしたいと頼まれた。そのお客は版画を三点も購入したお得意様である。本地隆明画伯は写真撮影を快諾してくれた。これで自然とツーショット写真を撮る流れができた。あくまでも購入者との記念写真であればと許可してくれたのである。
 お客には版画の購入を無理には勧めないという方針なので、奈々未は「ステキな版画ですね」とか「私、ここ行ったことあります」と当たり障りのない会話に止めていた。
 そうやって笑顔を振りまき、購入してくれた人とパチリと写真に収まった。
 横浜市内の観光地を描いた版画は好評で、購入を決めた赤丸のシールが一枚、また一枚と貼られていった。
 午後三時過ぎ、お客は途切れて展示スペースには二人しかいなくなった。そのうちの一人は奈々未の横顔を描いたスケッチをじっと見ている。仕立ての良いジャケットにコーデュロイのズボン、平日のこの時間に来店するのだから会社勤めではないだろう。
 奈々未は社長の孝夫と画家のマネージャーに呼ばれた。
 スタッフルームに入るとマネージャーが、「東京の大きな画廊の社長だよ」と言った。 奈々未のスケッチを眺めている男性のことである。著名な画家を何人も抱える画廊の社長で、美術界に確固たる影響力を持つ存在であるということだ。新堀画廊はその足元にも及ばない。応対には慎重にと注意された。
「あのスケッチが気になるようだね・・・モデルかと訊かれたら、女優を目指してますと答えるといい」
 孝夫がそうアドバイスした。
 奈々未が展示スペースに戻ると、その男性はソファに座って本地隆明と何やら談笑をしていた。コーヒーを二つ淹れて運んだ。
「あの絵のモデルさんだね」
 東京の画廊の男性が奈々未を見た、
「はい、本地先生に描いていただきました」
「プロのモデルなの、それとも・・・」
「女優を目指しています」
 孝夫に教わった通りに答えると、頷いて、「頑張りなさい」と言われた。本地先生も笑っている。理由は分からないが、奈々未が女優と言ったことは正解だったらしい。


 終わってみれば、初日の金曜日は版画が十五点売れた。金額は百三十万円、素晴らしいペースである。これには孝夫もこのペースでいけば目標の二百万円はクリアできると満足そうだった。
 東京の画廊の男性が奈々未の横顔のスケッチを熱心に見ていた件を尋ねた。
「ヴィクトリア朝にワッツという画家がいて、ラファエル前派とも親交があった人だ。ワッツが描いた『選択』は・・・」
 孝夫が画集を開いた。
 そこには金髪の美しい少女が右手で椿の花を引き寄せ、顔を近づけて香りを楽しんでいる絵があった。よく見ると左手にはスミレの花を持っている。少女は右を向き、顔の左側を見せている。左の方を向いた奈々未のスケッチとは対称の位置だ。
「『選択』は1864年の作品で、絵のモデルはエレン・テリーといって、ヴィクトリア朝で最もよく知られた女優だった」
「ああ、だから、女優と答えさせたわけね」
 ワッツの絵になぞらえて女優を目指しているとことにしたのだ。
「・・・でも、それなら、最初から教えてくれればよかったのに」
「それが」と孝夫は口ごもる。「この絵を契機にワッツとエレンは結婚したんだ」
 画家とモデルが結ばれたのであった。どうやら孝夫はそのケースを奈々未と本地隆明にも当てはめているようだ。それで今まで黙っていたというわけだ。
「孝夫さん、妬いてるの。私と本地先生が結婚しやしないかと心配してんだ」
「心配はしてないよ。実はこの話には続きがあって、このとき、つまり、1864年、ワッツは四十七、エレン・テリーは十七歳だった。二人の間には親子みたいな年の差があったので、結婚は一年で終わったんです」
「そんなに年が離れてたら、結婚生活はうまくいくわけないわ。その点、私と孝夫さんは三歳しか違わないもんね」
 孝夫が首をひねった。
「奈々未さん、履歴書には確か・・・」
 いけない、思わず本当の年齢を明かしてしまった。
「ああ、履歴書ね、あれは・・・そう、二年前だったかな、平成二十何年かに書いたんだったわ。あとから令和って修正したのよ」
 履歴書は正式採用の前日に書いたのだが、うっかりして平成と書いてしまった。他に用紙がなかったので二重線で直したのだった。
 理屈にはなってないが、とにかく強引に言いくるめるのは成功した。
「『選択』のエレン・テリーは十七歳、私はアラサー」
 奈々未はキスを迫るように顔を向けた。
「ねえ、私、三十に見える?」
「見えません。はい、言われるまで三十歳とは気が付きませんでした」
「そこらへんの十七歳の女子高生ともいい勝負だよね」
「断然勝ってます」
「セーラー服、着てみようか」
「さすがにそれは・・・」
「見たくないの?」
「いえ、見たいです。奈々未さんのセーラー服姿」
「だけど、女子高生は無理があり過ぎるから、ハタチってことにしようか」
 一気に十歳サバよんだ。
「どうせ詐欺なんだから、歳を誤魔化すくらいは当たり前でしょう」