連載ー12 美人画廊

 



 美人画廊 12話 第二章(1)


 河田奈々未が新堀画廊に勤めて一か月が経った。
 今ではアルバイトというよりは、新堀画廊の社長、吉井孝夫の恋人のような存在になった。
 台所やリビング、その奥にある彼の寝室にも自由に出入りしている。孝夫の寝室は意外と狭くてベッドを置くだけでいっぱいだった。ベッドはシングルサイズだから二人では寝られない。
 ということで、奈々未は二階の部屋を使わせてもらっている。ベッドもカーテンも可愛い花柄にしたので女の子の部屋になった。むしろ、彼の寝室よりも広いくらいである。マンションから身の回りの物を少し運んできたので、だんだん自分の部屋のようになりつつあった。


 ときにはお泊りもしている。
 泊まった日は孝夫が朝ご飯を作ってくれるので、起こされるまでベッドから出ない。
 奈々未はルームウェアにボサボサの頭でリビングに下りていった。両膝を立てて座り、大きな欠伸をする。
 テーブルの上はロールパン、紅茶、生ハムと野菜サラダ、朝から健康生活だ。
 片手でスマホをいじりながらロールパンを丸ごと齧った。
「あ・・・」
 孝夫はご丁寧にパンを千切って食べていた。


 ご飯を作るのは彼の仕事。掃除と洗濯はイヤだけど仕方ないのでやっている。何もかも押し付けていたら、家庭的ではないんだねとか言い出しかねない。リビングルームで掃除機をかけた。広くて疲れるし、腰が痛いと言い訳して真ん中だけ掃除していると孝夫がテーブルの下に潜って掃除機をかけてくれた。
 奈々未のマンションの部屋はゴミだらけで、ガスレンジにはうっすらと埃もたまっている。孝夫に掃除にきてもらいたいくらいだ。
 リビングは広々していて、書斎も兼用している。中央には長方形の大きなテーブルがどっしりと設えてあり、長い辺には二人ずつ座れる大きさだ。パソコンやファイルが置かれているので食事用のスペースは半分くらいしかない。食事をする時は端の方で向かい合って座っている。
 リビングにはいくつも版画が掛かっている。ラファエル前派でもなく、インテリア向けの版画でもない。
 細かい線画で植物を描いたもの、絵の具をまき散らしたような抽象画、それからガード下にありそうな落書きペイントもある。これらの作品は、かつての高校の教え子で美大に進んだ人が制作したということだ。美大を出ても、アーティストのタマゴなのであって、作品は買い手がつかず、彼らの生活は厳しいらしい。
 そこで、新堀画廊では美大に在学中、あるいは卒業して間もない若手のアーティストのために、発表の場を与えようと作品展を開いているのである。孝夫は若いアーティストたちの作品を購入して、リビングルームに飾っているのだ。今はまだ作品点数が少ないが、いずれは常設展示したいと夢を語ってくれた。


 社長の孝夫から留守番をしてと頼まれた。
 孝夫は銀行に寄り、それから版画をレンタルしている得意先に行くということだった。版画のレンタルは他の画廊との共同事業である。オフィスをはじめ、病院、介護施設などに季節ごとの版画を貸し出しているが、始めて半年、ようやく軌道に乗った段階だ。
 帰りが遅くなったら、店を閉めてくれと言われている。留守の間、一人で不安だったら、休憩中の看板を出してドアに鍵をかけてもいい。万一のために警備会社と契約してあるとはいうが、何か起きたら事後に駆け付けるシステムである。
 そうしたら、向かいの美容室の池田さんがやってきた。これ以上の安心はない。
 コーヒーとクッキーでお茶タイムにした。
「奈々未さん、あなた、休みの日も来てるの」
 未払いの給料を受け取りに行き、怖い目に遭ったときのことだ。その日は定休日で、デリバリーのお弁当を受け取る時に顔を合わせた。
「ええ、まあ、ときどき」
 先週も定休日に来たし、たまにはお泊りもするが、そこは適当に答えておいた。
「それに、二階のカーテン替えたでしょ」
「替えたといえば替えたんですが・・・でも、二階の窓は池田さんの方角とはちょっと角度が違うように思うんですけど」
 二階の窓は通りには向いておらず、美容室からは見えないはずだ。窓からはアパートや近所の家が見えるだけである。
「あっちも、こっちもお見通しよ。商店街では婦人局長、自治会では広報部長だから」
 商店街は「局長」、自治会は「部長」と呼び方が異なるようだ。近所には池田さんの支配下の局員やら部員がいて、逐一報告しているらしい。これでは監視局長だ。
「二階は着替えに使わせてもらってるんですよ。一階にはロッカーがないんです」
「奈々未さん、美人でお嬢様タイプだと思ってたら、グイグイいくんだね」
「社長が何事にも前向きでして」
 前向きなのは奈々未の方だ。
「ところで、一人じゃ不安でしょう、うちに来ない? 女優さんに頼みがあるの」
 美容室の池田さんの頼みというのは、ヘアーモデルの依頼だった。奈々未の髪をセットして写真に撮り、それを店内に飾りたいというのだ。料金は無料だと言うので引き受けることにした。
「そうそう、いい情報教えてあげる」
 ドライヤーを掛けながら池田さんが言った。人の噂をするのを生きがいにしている典型的なオバサンなのである。
「ほら、二階からアパート見えるでしょう、南洋風の」
 南欧風のことだと思った。孝夫が所有しているアパートである。
「あそこ、社長の持ち物」
 それはとっくに承知している。けれども池田さんは、アパートの一件は自分だけが持っている「いい情報」だと思い込んでいるようだ。世話好きオバサンの機嫌を損ねてはいけない。
「そうみたいですね、でも、詳しいことは聞いてないんですよ」
 奈々未が模範的に答えると、池田さんはまってましたとばかりにまくし立てた。
「部屋数は十二部屋、家賃は六万円。しかも満室よ。つまり、社長には家賃だけでも毎月七十万円ぐらい入ってくるっていうわけ」
「詳しいですね」
「婦人局長だから」
「広報部長もですよね」
「よく知ってるわね」
 奈々未が広報部長と言って持ち上げたので池田さんは満足そうである。いい情報を持っているオバサンは味方に付けておくに越したことはない。
「アパート経営してるんだから、画廊はヒマでもいいわけ」
 池田さんが続ける。
「展覧会だって安く貸してあげているでしょう。社長にとって画廊は趣味みたいなものなのよ」
「私も最初はそう思ったんですが、このところすごく忙しくしてる感じです。今日もレンタル用の版画をたくさん車に積んで行きました」
「奈々未さんのような美人が来たので仕事に精を出しているってわけね。やっぱ、家庭を持つ責任が出てきたのよ。早く花嫁姿が見たいわ」
 池田さんは奈々未がお嫁にくると決めている。
 奈々未は、せいぜいあちこちに広めてくださいと半分開き直った。婦人局長兼広報部長には最適の仕事だろう。そうしたら、商店街でも自治会も役員のなり手が少ないから、奈々未にも役員になるようにと言い出した。
「婦人局に入りなさいよ、二、三年みっちり仕込んであげるから」
 それは願い下げだ。二年も仕込まれたら、オバサンじみてしまう。まだオバサンにはなりたくない。因みに孝夫は商店街では青年局員、自治会では福祉部員だそうだ。


 美容室のドアが開いた。
「あーら、大ちゃん、いいところへ来たわね」
 入って来たのは、背が高く、100キロはありそうな大男だった。甥で警察官の大ちゃんだ。しかし、警官の制服ではなく私服である。
「こちら、向いの画廊の奈々未さん」
「どうも、岩山大吉です」見かけによらず高い声だ。「今日は非番だったんだけど、叔母さんに呼び出された」
 池田さんが休みのところをわざわざ呼び寄せたのであった。非番とはいえ警官である。逃げようとしても、奈々未は髪をセットされているので椅子から動けない。これでは逮捕されたも同然だ。
「僕は写真を撮る係りです」
 セットができて大ちゃんが写真を撮ってくれることになった。
「きれいですよ、奈々未さん。はーい、笑って」
「ふぁ~い」
 笑い顔が引きつる。逮捕された容疑者が顔写真を撮られているようなものだ。
 それからポニーテールにしてまた何枚か写真のモデルになった。
「大ちゃん、お巡りさんでしょ、仕事忙しい?」
 奈々未は少し余裕が出てきたので訊いてみた。
「この辺は横浜でも静かなところですから、出番といえば、小学生の通学路で交通整理するぐらいです」
「偉いね、町の人が頼りにしてるんだ」
 むしろ身体が大き過ぎて通行の邪魔になっているんじゃないかと思える。
「奈々未さん、画廊で働いているんですよね。最近、画廊に版画を売りつける手法が発生していると生活安全課からファックスがありました」
 ヤバい・・・奈々未と愛理は警察で捜査の対象になっているようだ。
「横浜や川崎方面でも頻発しているらしいんです。気を付けてくださいね」
「ええ、とっくに気が付かれました」
「新堀画廊さんでは、詐欺みたいな怪しい話を聞いたり、何か心当たりはありませんか」
「おかげさまで、ゼンゼンありません」
 警察官の前で堂々とウソをついた。
 自分が詐欺を仕掛けていることなどはおくびにも出さない。
 詐欺をした犯人が目の前にいるというのに、大ちゃんは気付いていないようだ。子供にも犯人にも優しい模範的なお巡りさんである。
「それって、画廊に版画を売りつけたら詐欺になるの?」
 恐る恐る尋ねてみた。
「詐欺にはならないと思います。課長もそう言ってました。騙し取るのは詐欺ですけど、画廊は買い取った版画を売ればいいんでしょう、だったら、詐欺とは言えないなあ」
 奈々未は詐欺には当たらないと聞いて大いに安心である。
「そうなんだ、ああ、良かった」
 調子に乗って良かったと本音を漏らしてしまった。
「うちの社長、人が良すぎて騙しやすい・・・いえ、騙されやすいから、今聞いたこと話しておくわ」
 これでこの話は一件落着にした。


 奈々未は岩山大吉を手招きした。
「大ちゃん、アイドルの今野レイナ推しでしょ」
「何で知ってるんですか」
「美人局だもの」
 びじんきょくと言ったが、大ちゃんは何のことだか分からずポカンとしている。「つつもたせ」だと知ったらどんな反応をするだろう。
「いい情報教えてあげるね」
 池田さんに仕込まれたので、世話好きのオバサンみたいになった。
「映画に出るのよ、今野レイナ、知ってた?」
「本当ですか」
「本当だってば、ウソはつかないわ。とくにお巡りさんの前ではね」
 我ながら白々しいことを言えるなと感心した。
「画廊に来る映画監督に聞いたの。だけど、まだ情報解禁になってないから、他の人には行ってはダメよ」
「はい、了解です」
「大ちゃん、犯人を追いかけるのはやめて、アイドルを追いかけた方がいいと思うよ」
「本官はアイドルの警備係を目指すこととします」
「よろしい、では職場に戻りなさい」
 池田さんだけでなく、警察官の大ちゃんも味方につけることに成功した。


 *本日もお読みいただきありがとうございました。