連載ー11 美人画廊




美人画廊 11話 第一章(6)ー2
 
*階段を上がってくる足音がして、もしや元カレかと期待が膨らみますが・・・


「康司さん!」
 違った、康司ではなかった。
 中年の髪の薄い男性だった。一階に事務所を構えている、このビルの大家だ。これまでにもたびたび顔を合わせたことがあったが、あまりいい印象は残っていない。
 ビルの大家がニタっと笑った。
「奥さん、ちょっと話があるんだ」
 奈々未は後ずさりして壁に背中を付けた。
「お宅の会社、今月分の家賃がまだなんだけど」
 大家が迫ってきた。
「あんた、社長の奥さんなんでしょ・・・」
「違います」
「あんなた次第では、家賃の方は待ってもいいんだ。分かってるね」
 大家が肩口を掴んだ。奈々未は腕を突っ張って押し退けた。揉み合っているうちにバッグが開いて封筒が飛び出し、一万円札が何枚か床に散らばった。奈々未が拾おうとすると、大家が覆い被さってきた。
「いや、なにするの」
「だから、待ってやるって言ってるだろ。旦那のためじゃないか」
 旦那のためだと言われ、一瞬気が緩んだところを後ろから抱きつかれた。お尻や腰を触られた。太い指がスカートを這いまわり、パンティストッキングの上から太ももを撫でまわされた。
「誰か、助けて」
 床に転がされた。男の力には敵わない、組み伏せられて足をこじ入れられた。
「やめて、やだ」
「そんなに嫌がるなよ、うぶな娘じゃあるまいし。好きなんだろ、そういう顔してるぜ。言うことを聞くんだ」
 反転して這って逃げようとしたところを背後から腰に抱きつかれた。大家の手がスカートに潜り込みパンストに掛かる。あっと声を出したが、パンストとベージュのパンティがずり下がった。
 手を伸ばすとそこに紙袋があった。紙袋を投げつけ大家がひるんだ隙に思い切り突き飛ばした。
 奈々未はバッグを拾い上げ、落ちていたスマホを握りしめて駆け出した。
 階段を二段越しでバタバタと駆け下りた。踊り場で躓きそうになったのを必死で踏みとどまった。
 一階に着いて胸を押さえた。
 大家が追ってこないだろうか。
 後ろを振り向くのが怖いので、外へ飛び出し二軒先のビルの中へ逃げ込んだ。
 バッグを確かめた。スマホ、財布、家のカギ、大事な物はあった。しかし、もらったばかりの給料の封筒が見当たらない。揉み合ったときに落としてしまったのだ。バックには三万円しか残っていなかった。
「ああ・・・」
 ため息をついた。
 通りに出てタクシーを止めた。
 行先はマンションの地番を告げた。タクシーが走り出し、これで助かったと胸をなでおろした。
 そこで、ふと思った。
 会社は給料が遅配だし、ビルの家賃も遅れている。大家が支払えと言うのは当然のことだ。
 まさか・・・康司は大家に言い含められて、奈々未が給料を取りにくるように仕向けたのではないだろうか。社員が銀行に出かけたことやレンタル品の引き取りまでもが仕組まれていたのかもしれない。
 ゾッとした。
 普段なら、男に身体を触れるくらい何でもないのだが、そう考えると、おぞましい不快感がこみ上げてきた。触られたところが気持ち悪い。
 奈々未はスマートフォンを取り出し、新堀画廊に電話をした。
「孝夫さん、今からお店に行ってもいい」
「いいよ、店にいるから」
 孝夫の声を聞くことができて、それだけでホッとした。
 電話を切ったそのあとで、今日は画廊の定休日だったことを思い出した。
   *****
「孝夫さん」
 奈々未は新堀画廊に飛び込み、玄関を入ったところで抱きついた。抱き合ったまま、スタッフルームに行った。
「触って、奈々未の身体を触って」
 奈々未は、何事かと訝る孝夫の手を取って背中に回した。
「お願い、孝夫さんに触って欲しいの」
 お尻も胸も、太ももまで、どこでもいいから、触って撫でてもらいたかった。
 孝夫の手がおずおずと動き出した。背中を摩り、その手が腰に伸び、奈々未をしっかり抱き止めてくれた。
「ああ、ああ、孝夫さん」


 ソファに座って孝夫に寄りかかった。
「何があったの、奈々未さん」
「聞いて・・・今日、未払いの給料を受け取りに会社に行ったんだけど」
 奈々未は前に働いていた会社がビルの家賃を滞納していて、大家がそれをいいことに襲いかかってきたことを話した。
「それは酷い」
「酷いでしょ。あちこちベタベタ触ってきたんだもの、気持ち悪くって」
 身体を密着させ孝夫の手を腰に導いた。
「だから、孝夫さんに、奈々未の身体をきれいにして欲しいと思ったの」
「ええ、それは、もう、僕でいいんなら」
「孝夫さんじゃなきゃダメなの」
 孝夫に抱きついて身体を預けた。
 お尻の丸みを撫でてもらうと気持ち良くなってきた。その手が太ももに伸びてくる。ぶるんと太ももの肉が揺れた。
「あっ、あ・・・ああ」
 安心したのと撫でられている気持ち良さで眠くなってきた。
「ごめん、待って。ちょっと眠くなっちゃった」
 奈々未は孝夫の胸に顔を埋めてスーハ―と息をした。
「奈々未さん、もし横になるんだったら、二階の部屋を使っていいですよ」
「二階の部屋?」
 ついに孝夫がベッドに誘ってきた。服の上から抱き合っているのだから、これで何も起こらないということはあり得ない。
「奈々未さんが布団やカーテンを替えて欲しいって言ったでしょ。さっき、その荷物が届いたところです」
 そういえば、二階のベッドのシーツや布団を女の子らしいピンクや花柄模様にしてもらいたいと頼んだことがあった。奈々未はすっかり忘れていたが、孝夫はちゃんと覚えていたのだ。
 それなりに準備は整えているのだった。


 二人で二階へ行き、部屋の掃除とベッドメーキングをした。といっても、奈々未は座って見ているだけである。掃除機をかけたり、重い物を動かすのは全部、孝夫がやってくれた。
 ベッドもカーテンもすっかり明るくなって女の子の部屋らしくなった。
「お休みだったのに、押しかけてごめんね。怖くて、怖くて、ここ来れば孝夫さんがいるって思ったから」
「奈々未さんのためなら、できることは何でもしてあげたい」
「うれしい、孝夫さんだけが頼りなの」
 ベッドに二人で腰かけ、孝夫に身体を預け目を閉じた。
 抱かれてもいい。
「奈々未さんが好きだ」
「こんなオンナでよかったら・・・カレと別れたばっかりだし、それに、詐欺みたいなことしてる」
 孝夫の腕をギュッと掴んだ。
「一目見たときから、好きになった」
 孝夫が肩を抱き、グッと引き寄せる。
 唇が触れた。
 奈々未から倒れ込んで彼を抱きとめた。
「あ・・・ちょっと待って。カーテン引かないと美容室から見えちゃう」
 抱き合っているところを目にしたら、美容室の池田さんは町中に触れ回るだろう。ところが、奈々未の心配をよそに孝夫は窓を指して、
「ここの窓からは向かいの美容室は見えないんだ」
 と、平気な顔である。
「ああ、そっか。アパートの方を向いているんだったっけ。あそこの駐車場に車を停めたから、こうなったんだよね」
 孝夫の住むアパートの駐車場に車を入れ、愛理と二人でいるところを見られた。それが原因で詐欺は失敗したのだが、今になってみると何もかもが運命だったと思える。
「どの部屋なの、孝夫さんのお部屋にも行ってみたいわ」
 アパートの何号室に住んでいるのかを訊いてみた。これから何度も彼の部屋を訪ねることになるし、いずれはそこで一緒に暮らすのである。
「僕の部屋ですか・・・どこっていうのは難しくて」
「教えてよ何号室だか」
 部屋の番号くらいサッサと言えばいいのに、何をもったいぶっているのか。
「まあ、一言で言えば全部です」
「全部?」
「実はあのアパートの大家でして、つまり、アパートを経営しているんです」
「おっ」
 奈々未はベッドから跳ね起きた。
 窓の側へ寄って外を見る。南欧風の洒落た建物、二階建てだから十部屋、いや十二部屋あるだろうか。孝夫はアパートに住んでいるとばかり思い込んでいたのだが、一棟丸ごと所有しているのだという。
 不動産経営という文字が頭を横切った・・・家賃六万円として七十万円くらい、それが毎月入ってくることになる。吉井孝夫には安定した収入が保障されているのだ。
 そういうことは早く言ってよ・・・
「あそこに住んでると思ってたの、びっくりした」
 びっくりして、ますます好きになった。
 奈々未は腰を押し付けるように抱きついた。


 それから・・・
 彼はとても紳士的で、奈々未の身体を下着の上からサラリと愛撫するだけだった。ビルで襲われかかったことを気遣ってくれたのだ。


 夜ご飯を食べようということになり、デリバリーのお店のチラシを見て迷うことなく、熟成ロースかつ弁当に決めた。
 やはり、肉食系女子である。
 分厚いとんかつを食べて、ギラギラになって燃え上がる。孝夫が遠慮したならば、こっちから誘惑して押し倒してみようか。
 お弁当が届き、奈々未が受け取ったときに、たまたま、向かいの美容室の池田さんが出てきたので軽く会釈した。
 今日は画廊の定休日だったなと思って、ペロっと舌を出した。


 リビングで孝夫が文庫本を見せた。
「工藤監督の映画の原作だと思うんだけど、午前中に本屋で手に入れてきた。本の帯には30万部突破、映画化決定とあるから、きっとこれだよ」
 文庫本には書店のカバーが掛かっている。
「映画では原作の通りではないとしても、読んでおけば演技するときにも役に立つんじゃないかな」
 奈々未のためにそこまでしてくれるのは嬉しい。
「ふうん、何ていう本なの」
 孝夫が書店のカバーをはずした。
 『詐欺師の誘惑』だった。


 *今回で 美人画廊 第一章を終わります。次回からは第二章になります。引き続きよろしくお願いいたします。