連載ー9 美人画廊



 美人画廊 9話 第一章 (5)ー2


 陶器の展覧会の二日目も同じような展開となった。
 奈々未はお茶を出したり、品物を包装したりしながら、その合間に、お客とツーショットに収まったりと忙しく立ち働いた。展覧会は大盛況で搬入した品物の八割以上が売れた。陶芸の先生は、大盛況だったので来年もぜひお願いしますと喜んだ。
 しかし、売り上げは十万円を超えたものの、新堀画廊には事前に決めた賃料しか入ってこなかった。
 店じまいをして帰ろうとすると、社長の孝夫から封筒を渡された。
「今月のお給料です。ご苦労様でした」
 そういえば今日は月末だった。
 給料の封筒には、別にのし袋があって一万円入っていた。作品展のモデル代だということだった。


 土日は陶器の作品展で盛り上がったが、月曜はサッパリだった。しかも、昼過ぎから雨が降りだした。
 孝夫は奥のリビングでなにやら調べものをしている。ラファエル前派の版画を見に来る英文学者の樋口先生と一緒に雑誌に寄稿するということだ。画廊の経営者というよりは研究者なのである。
 奈々未は少しずつ孝夫のことを聞き出していた。
 吉井孝夫は画廊を始める前は学校の教師をしていた。高校で歴史を教えていたのだそうだ。ところが、両親が事故で亡くなってしまった。そこで教師を辞め、自宅を改装して画廊を開業したのだった。高校の先生だったので物を書くのは苦にならないようだ。その反対に、奈々未が持ち込んだブラジリエの版画を仕入れ値で売ってしまうくらいだから商売には向いていないのは確かだ。
 孝夫はとにかく真面目だし優しくしてくれる。あわよくば結婚詐欺もと思っていたが、本気で結婚を考えてもいいかと思う。けれども、彼の財産状況はまだ何も分かっていない。
 奈々未は事務室のソファに座ってお菓子を食べながら美術関係の本を眺めていた。活字の多い本はやめて画集を適当にパラパラ捲った。
「なに、これ」
 たまたま開いたページの絵を見て思わず声を漏らした。
 ウォーターハウス作『ユリシーズとセイレーン』
 その絵は、帆船の船上で、中央の柱には男性が縛られている場面である。船の漕ぎ手は十人くらいだろうか、それぞれ左右の船端でオールを握っている。
 異様なのはその周囲を飛んでいる大きな鳥だった。
 七羽の鳥が羽を広げ、柱に縛り付けられた男性に挑みかかっている。
 羽や胴体はワシのような猛禽類の姿だが、七羽の鳥は、その頭部だけが女性の顔に描かれているのだ。
 美しい女性の顔をした猛禽類。そのうちの一羽は船の縁に止まり、漕ぎ手の男性を覗き込んでいる。
 解説には、ユリシーズはセイレーンが美しい声で船乗りを誘惑し難波させるという噂を聞き、自らを柱に縛って難波の危機を乗り越えたとあった。
 セイレーンは通常は人魚の姿で描かれるのだが、ウォーターハウスはそれを美しい女性の顔を持った鳥として描いた。
 ユリシーズに襲いかかるセイレーン。美しい顔をして男を誘惑し、挑発している。船端に止まって漕ぎ手を覗き込むセイレーンは、愛らしい微笑みを浮かべて男を誘っている。
 きれいな顔で男を誘って引きずり込む。これが女の本性だ。
 奈々未はソファの上に乗り、男を覗き込むセイレーンの真似をしてみた。
 セイレーンは効き目がありそうだ。
 孝夫はそんなこととは知らないで熱心に原稿を書いている。


 そのまま閉店になり、「閉店しました」の札を出しカーテンを引いた。
 奈々未は孝夫と向かい合ってソファに座った。
「孝夫さん、今月のお給料ありがとう。そのうえ、モデル代までくれるなんて」
「喜んでくれて、こちらも嬉しいです」
「モデル代の見返りに何かされるんじゃないか・・・ごめんね。変なこと言っちゃって。孝夫さん、そんな人じゃないもんね」
 孝夫がそうだとばかりに頷く。
 奈々未はカーディガンの前を広げた。中には深紅のノースリーブを着ている。
「今から・・・モデル代をいただいたお礼をしますね」
 思わせぶりにゆっくりカーディガンを脱ぎ、途中で手を止めた。
「そこから、動かないって約束してください」
 しっかりと念を押す。
 カーディガンを脱いだ。
 孝夫は「はあ」とため息をついて、奈々未の深紅のノースリーブ姿を食い入るように見つめている。
 これはまだ序の口、キャバ嬢のときには毎日やっていたことだ。この程度でも孝夫には刺激が強いようで目を白黒させている。面白くなったので次の誘惑に取り掛かった。
 奈々未はスカートをたくし上げ太ももを見せた。脚を少し開いて静止し、脱いだカーディガンを膝に掛けて股の奥を隠した。さらに横向きになり、目いっぱいスカートを捲って太ももを丸出しにした。
「どう・・・孝夫さん。奈々未の太もも。これが、お礼の気持ちです」
 孝夫は今にもソファから転げ落ちそうだ。
「陶芸展でオジサンたちにツーショット撮らせてあげたでしょ。あれ、ホントはイヤだったけど、お仕事だと割り切ったの」
「そうでしたか・・・すみません」
「でも、孝夫さんは特別よ」
 特別と言いながら、奈々未はソファにちょこんと乗った。先ほど見た画集にあった、ユリシーズに襲いかかるセイレーンの絵を真似て孝夫を誘惑する。
 笑みを浮かべ、舌で唇を舐めながら彼に迫った。
「こんな格好してあげてるのに、孝夫さん、なにも感じないの?」
「ドキドキしてます」
 孝夫が身体を動かした。我慢もここまでのようだ。
「ダメよ」
 と、きつく制した。
「私の身体に指一本でも触れたら、お向かいの美容室に駆け込むわ。孝夫さんにエッチなことされましたって言ってやる」
「やめてください、それは困ります」
「あのオバサンのことだから、警察官の甥の人に電話するでしょうね。どうなると思う? 警察の人も使いようによっては味方になるのよ」
 奈々未はスカートを下げ、カーディガンを羽織って、何事もなかったかのように立ち上がった。
「ねえ、なんで写真撮らなかったの、せっかく太もも見せてあげたのに」
 孝夫が弾かれたようにスマートフォンを手にした。
 写真なんか撮らせるものか。
「モデル代、10万円よ」
 今ごろになって写真を撮ろうとしたってもう遅い。
「明日と明後日、連休いただいてます。社長、一人でお仕事、頑張ってね」
 呆然とする孝夫を残して、奈々未はさっさと店をあとにした。


 *本日もお読みいただきありがとうございました。