連載ー8 美人画廊



 美人画廊 8話 第一章 (5)ー1


 週末には新堀画廊で陶芸の作品展が入っていた。区民学習センターにある陶芸教室の先生と生徒の作品展である。
 新堀画廊は、貸し画廊と企画展示画廊の両方を兼ねている。
 貸し画廊としてスペースを貸し出すときは賃料収入が入る。企画展示の場合、作家の個展では作品の販売手数料を受け取る契約だ。
 今回の作品展は賃料の二万円だけで、陶器が売れても手数料収入は得られない。しかも、緩衝材などの包装用品は画廊が負担するということである。陶芸教室の生徒は近所の人たちなので、地元の振興のためとは言うが、包み紙までサービスしていたのでは経営が成り立たないだろう。


 金曜日の午後から陶芸展のために模様替えをおこなった。
 ラファエル前派の版画は取り外して倉庫にしまい、代わりに明るい雰囲気のインテリア用の版画を掛ける。奈々未は、ようやく馴染んできた世紀末版画を片付けてしまうのが残念だった。
「すみません、版画を運んでいただけますか」
 丁寧にお願いされた。孝夫は奈々未に対して仕事を頼むときにはいつも低姿勢だ。
 孝夫が版画を持って先にスタッフルームの脇の小部屋に入った。部屋の床には額縁が幾つも立てかけられ、棚にも版画が並んでいた。ほとんどが英国ラファエル前派やヴィクトリア朝時代の版画だということだ。
 孝夫と二人、狭い部屋なので自然と身体が触れそうになる。
「どこで買うんですか、こういう版画は」
 版画をどうやって手に入れるのか訊いてみた。
「おもにロンドンのギャラリーからです。画廊をオープンしたときは直接買い付けにいったけど、今は、ネットで購入してます。この間も注文しようと思ったんだけど、急な出費があって・・・」
 急な出費とは、もしかすると、奈々未が売り付けた版画の代金、六十万円だったのかもしれない。少し胸が痛む。
 奈々未は間近で見るため版画の側へ、というよりは孝夫に近づいた。
 すると、孝夫が胸に手を当て、ああ、とため息をつきながら、奈々未の脇をすり抜けていった。
「どうしちゃったの、孝夫さん」
 ソファに座りこんだ孝夫を覗き込む。
 心臓発作でも起きたのだろうか。これから陶芸展の準備作業だというのに、肝心の社長が倒れてしまったのでは困る。
「具合悪い?」
「いえ、そういうんじゃなくて。ちょっと・・・ドキドキする」
 孝夫が左胸、心臓の辺りに手を置き、下を俯いた。 
「すぐそばで奈々未さん見て、きれいだったので、心臓が・・・ドックンと動いた」
「なーんだ」
 何かと思ったら、奈々未の顔を間近で見たのが発作の原因だという。
「倉庫は照明が暗かったでしょう。アラが隠れて、きれいに見えたんだよ、きっと」
 そんなことはない。今日は作品展の飾り付けで大勢の人が来るというので、いつもより念入りにメイクしている。美人度は五割増しだ。間近で見たら倒れるのも無理はない。
 奈々未は、わざと顔を近づけ右を向いたり左を向いてみた。
「明るい所で見たら、目尻にシワがあるし目の下にはクマあるし、お肌にシミがあるでしょう。ほら、ここ」
 指で頬をポンと突いた。
 シミもシワも目立たないよう、バッチリメイクしてきた顔を見せ付けた。
「孝夫さん、よく、み・た・ら」
 挑発するように顔を寄せて覗き込み、ハアーッと息を掛けてみた。
「どうですか、アラサーだから、やっぱり、若い子には負けちゃうかなあ」
「ますます、ドキドキしてきた」
 奈々未は胸に置いた孝夫の手に自分の手を重ねた。手の上からでも心臓の鼓動が伝わってくる。
 これくらいでドキドキしていたら、ベッドに誘ったらどうなるんだろう。
「さあ、元気出して、準備の続きやりましょう」
 孝夫の手を引っ張った。
 それから間もなく作品が搬入されてきた。
 段ボールの箱から陶芸作品を出して並べていく。そこへ盛花が届いて、なかなか本格的な展覧会になってきた。
 吉井孝夫によると、陶芸教室のある区民学習センターでも生徒の作品展をおこなっているが、そこでは展示のみであるという。物品の販売をおこなうとセンターの使用料が高くなるらしい。今回の吉井画廊では展示だけでなく販売もする。ここに出品できるのは講師の先生から経験と技量が認められた生徒だけだ。
 奈々未は出品リストを見ながら展示された品物を確認した。
 お皿、小鉢、カップ、徳利、花瓶などが並んでいる。花瓶は三千円、灰色の丸皿は二千円、抹茶碗は千五百円だった。手造りの暖かみは伝わってくるのだが、いかにも趣味の陶芸作品である。花瓶は首が傾き、丸皿は座りが悪くてガタガタしている。これでも経験と実績がある生徒さんの作品だそうだ。
 しかも、どれほど売っても代金は画廊に入ってこない。売れるのは期待しないことにした。


 土曜日、陶器の作品展の初日、奈々未は私服ではなくセットアップスーツを着た。以前、勤めていたバッグの店でも展示会でよく着ていたものだった。久しぶりに穿くスカートはウエストがきつかった。二年前から確実に太ってしまっている。
 スーツ姿を孝夫に見せると、きれいだ、きれいだと何度も褒めてくれた。
 サポートショーツにギュウギュウ押し込んだ脇腹の肉ことなど、彼は知る由もない。


 いつもより早めの10時に陶芸教室の作品展が始まった。
 オープンと同時に商店街にあるパン屋の主人が駆け付けた。以前、パンとタイ焼きをくれたお店の人だ。商店街の副会長でもある。焼き立てのパンを差し入れに持ってきてくれた。入り口に飾ってある盛花もそのパン屋から届けられたのだった。パン屋の奥さんが陶芸教室の生徒さんなのである。
 パン屋の主人は陶芸教室の先生の作品を買った。奥さんが生徒なので先生への気遣いというところだろう。
 そして、奈々未を見て、「美人さんと記念写真を撮りたい」と言い出した。すかさず、奥さんが「いい年をして」と睨んだ。
 オジサマとのツーショットは気が進まないが、差し入れをもらったので無下に断るわけにもいかない。
 奈々未が、どうしましょうと訊くと、孝夫は、
「ご迷惑でなければ、お願いします」
 と、写真撮影を受けて欲しいと頼んできた。
 ラファエル前派の版画を見に来た人たちの前でポーズを取ったこともあったので、今回もモデル役を引き受けることにした。
 先生の作品、緑色の釉薬の掛かった大皿を真ん中に、奈々未はパン屋のご主人と並んで写真に収まった。パン屋のご主人は美人とツーショットだと大喜びしたのだが、奥さんに用が済んだら早く店に戻りなさいと追い出された。
 これがきっかけで、作品展は、奈々未とのツーショット撮影会のようになった。もちろん、陶器を購入した記念という条件付きだったが。
 あちらでもパチリ、こちらでもパチリ。何枚もツーショットを撮られた。
 モデルみたいになれて気分は上々だった。
 奈々未は、こんなことならセットアップスーツより、キャバクラの衣装を着れば良かったと思った。その時はチェキ撮影は有料である。
 結局、ツーショット効果もあって初日が終わった時には、用意した品物の半分以上が売れていた。お向かいの美容室の池田さんもやってきて、慣れた手つきで陶器を包んでくれた。売れ行きが良すぎて、展示する作品が減ってしまい、二日目のために新たに作品を補充しなければならないほどだった。これほど売れるとは陶芸の先生も生徒も感激していた。
「今日の売り上げは五万二千円ね」
 奈々未は売り上げの集計表を孝夫に見せた。社長の孝夫は隙間が目立つテーブルを眺め、
「奈々未さんのおかげです」
 と言った。
「写真撮られるの、イヤじゃなかった?」
「ううん、全然、大丈夫です。でも、モデルまでしてあげたんだから、これじゃあ、時給安すぎると思うけど」
 それからコーヒーを淹れて差し入れのチョココロネを食べた。孝夫はいつも使っている白磁のカップではなくて灰色のやや大きめのカップを出してきた。去年の作品展で買ったのだそうだ。そのときは全然売れなかったから自分で買ったと言った。そういえば、今日も似たような色の皿があった。底の部分がデコボコしていたので失敗作だと思ったが、それも誰かが購入していった。


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