連載ー5 美人画廊



 美人画廊 5話 第一章 (3)ー1


 翌日の土曜日はラファエル前派の版画を見にきた人たちが大勢やってきた。
 お客の中には、大学教授や雑誌の編集長、英文学者の先生たちがいた。それぞれに、版画を見たり、古書や絵本を手に取って読んでいた。話の中には、ジャーム、テニスンの詩集、ベラムの表紙、ケルムスコットプレスなど聞きなれない専門用語が飛び交っている。
 世紀末絵画についての知識がない奈々未は会話に加われなかった。
 それでも、何かにつけて、美人だ、壁の絵から抜け出たように美しいなどとちやほやされた。
 まんざらでもない。
 ボーダーのブラウスにカーディガン、下は美脚パンツを穿いてきたのが正解だった。
 孝夫が雑誌の編集長や学者先生と話し込んでいるので、それ以外のお客には奈々未が一人で応対した。閉店までに版画を四枚も売った。もちろん、購買意欲をそそるために密着戦術も忘れなかった。
 雑誌の編集長という人が、「この絵みたいな服、似合うと思うんだ」と、『黄金の階段』の版画を指し示した。
 ウエストを締め付けない、ゆったりとしたロングドレスのことである。ラファエル前派の絵画に描かれた女性たちはたいていドレープの豊かな服を着ている。だが、この服では働くのには不向きだし、そもそも外出が無理だろう。いい年して、コスプレでもしているように見られてしまう。 
 奈々未は「コスプレっぽくなりますね」と素直な感想を口にする。
「そうです、奥さん、いい所に気が付きました」
「バイトなんですけど、私」
 孝夫の奥さんに間違われたので、すかさず否定しておいた。
「コスプレですよ。ラファエル前派はその世界なんです」
 雑誌の編集長によると、二十世紀に入るとラファエル前派は時代遅れの絵画として顧みられなくなってしまうのだが、その精神は現代にまで引き継がれているのだそうだ。神話とまではいかなくとも、たとえば、モデルに非日常的な衣装を着せて描いた絵画はラファエル前派の流れを汲んでいると言ってもよいのである。
「アニメの格好をするコスプレ、それこそ現代のラファエル前派というわけです。今の時代を先取りしていたんです」


 閉店後、すぐには帰らず、絵画の知識を深めるため美術関連の本を手に取った。ラファエル前派がコスプレだと知って、少し吉井画廊でのバイトが面白くなってきた。
 ラファエル前派というのは、1850年頃から始まった英国の絵画の流派である。「ぜんぱ」と名乗ったのは、ラファエロ以前の芸術、つまりルネッサンス以前の絵画表現を目指そうとしたからだ。初期のメンバーはロセッティ、ミレーらが中心だったが、それは自然解消してしまい、後にウィリアム・モリス、バーン=ジョーンズなどの画家が加わった。自然を忠実に再現したり、神話や伝説を題材にした絵が多いのが特徴である。ロセッティやウィリアム・モリスは詩人としても知られ、さらにモリスはインテリア・デザイナーのさきがけでもあった。
 画集を見ていて驚いた。
 画廊に展示されているのは、写真製版のフォトグラビュール版画で、どれも白黒である。ところが、画集に載っている油彩画は、鮮やかな色彩で描かれていたのだ。『ヴィーナスの鏡』の女神たちは赤、青、橙色の服を身にまとっている。『魔法にかけられるマーリン』の美女は濃紺の服だった。
 頭が疲れたので勉強はそこまでにした。絵画の背景とか、美術用語とか、分からないことは孝夫に任せておけばいい。どうせ、バイトは明日までである。
 それより、明日のファッションが大事だ。
 ラファエル前派のモデルのような長めのワンピースを着るのはいいが、その格好で地下鉄に乗ってくるのは気が引ける。裾を踏んでしまったら階段でコケそうだ。そもそも、コスプレなら更衣室が必要だ。
 二階の部屋を見せてもらうことにした。
 階段を上がった右手は倉庫で、スチールの棚に版画がぎっしり置かれていた。右の部屋は八畳くらいの広さがある。ベッドも置かれている。ここなら着替えに最適だ。廊下の突き当りにはクローゼットと洗面所もあるということだ。
「明るくてきれいなお部屋」
 窓は大きく開放的だ。窓の外には例の南欧風のアパートが見える。奈々未が売り込みに来たとき、愛理と一緒のところをここから見ていたのだった。
「派遣の社員さんが使っていたので、掃除はしてあります」
 着替えに使わせてくれと頼むと快く承知してくれた。
「ラファエル前派のような服、持っているんですか。似たような服であれば、新しく購入したりしなくていいですから」
「長い丈のワンピースは持ってますよ。それとも、スリットが入ったのが好きですか。キャバ・・・濃厚な接待をする飲食店で働いていたときの衣装なんだけど、それでもいい?」
「それは・・・いいですね、ええ、すごくいいです」
「だけど、このお部屋、女の子が着替えるには、ちょっとシブイね」
 毛布、枕などは落ち着いたグレーだ。孝夫の趣味だろうがいかにも地味過ぎる。三日間だけのバイトだから部屋の模様替えまでは望んでいないのだが、
「布団やシーツはピンク、カーテンは花柄とかが好きなの」
 と言ってみた。
「ピンクの方が雰囲気出るじゃない」


 日曜日にも世紀末絵画の愛好者が集まった。
 奈々未が着たマキシ丈のワンピースは大好評で、雑誌の編集長には、ラファエル前派の絵画のモデルに生き写しとか、これこそ女神だと言われた。奈々未はリクエストに応じて画中の人物、湖畔に佇む女神や魔術の本を手にした女性と同じようなポーズをとってあげた。バイトは今日が最終日なので、サービス精神を発揮しただけだ。
 愛好家の人たちは入れ代わり立ち代わり来る。コーヒーを淹れるのも忙しい。しかも、フラリと入ってくるお客も多く、立て続けに版画を三枚売った。ラックから版画を抜きだすときに、わざと相手の手に触れたり、相手の腕に胸を押し付けたりしてあげた。キャバクラ仕込みのサービスにお客はギクッとして、魔法に掛かったように財布を開くのだった。
 それもようやく落ち着いて、奈々未は世紀末絵画のサークルの輪に加わった。挿絵本を読みながらの座談会である。
 大学で英文学を教えている樋口先生が、古書を手に取れるのは実に貴重なことだと言った。樋口先生が手にしているのはジャームという本である。ラファエル前派の初期のころの詩と文学の雑誌で、四号分が合本されている。また、緑の表紙の本は、テニスンの詩集といい、ミレーやロセッティが原画を描いた版画が挿入されている。新堀画廊にあるのは廉価版の第二版だが、それでも150年は経っているアンティークである。
「本は完全に開かないように、60度くらいの角度までにしてください」
 奈々未は本を持つ手が震えた。


 画廊のドアが開いてお客が入ってきた。ストライプのスラックスに白いジャケットを羽織った派手な男性だった。古書の勉強会には不釣り合いな格好である。
「監督」「工藤さん」。そう呼びかけられて、工藤という人は「いやあ、どうも」とハンカチで汗を拭いた。それから、奈々未に気が付くと、親指と人差し指で四角を作り、その枠を奈々未に向けた。
「こちらは工藤さん。映画監督です」吉井孝夫がそう紹介した。それで分った、指で作った四角はカメラのフレームというわけだ。
 工藤監督は「美人だなあ」と言ったかと思うと、次には「トイレ」と叫んで隣の事務室兼倉庫に向かった。せかせかした様子に居合わせた人たちが笑っている。
 トイレから戻った監督は、
「あれ、あの版画、馬の版画」と、隣の部屋を振り返った。
「ブラジリエ」
「そうそう、そんな名前だった。ああいう版画も置くようになったの」
 尋ねられた孝夫は、
「仕事の幅を広げようかと思ってるんです。新たな顧客にも繋がるし」
 と答えた。
「それはいいねえ、じゃあ、売りものなんだ」
 吉井画廊には似合わない版画だと文句を言い出すのかと思ったが、むしろ歓迎しているようである。
 それから、工藤監督は「実は、新しい映画を撮ることになってね」と切り出した。
 田村美千代というベテランの女優に新作映画の出演を依頼したのだが、なかなか首を振ってくれない。伊豆の山奥に移り住んでいて、半ばリタイア状態だからと断られた。なんとか引っ張り出してカメラの前に立ってもらいたいのだという。
「田村美千代、ファンだった。でも、最近見てないなあ」雑誌の編集長が天井を仰いでしみじみと言った。「それで、どんな映画なの」
 工藤監督はソファに腰かけ、ここだけの話だと断って映画のストーリーを話した。主演は男性アイドルグループの五十嵐隼人、これがオレオレ詐欺の一味で、孫を装っておばあさんを騙そうとするのだそうだ。
 監督が撮ろうとしているのは詐欺師の映画だった。


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