連載ー3 美人画廊

 美人画廊 3話 第一章 1の3


 隣の部屋に入っていた吉井孝夫は封筒を手にして帰ってきた。奈々未が中を見ると確かに一万円札が60枚入っていた。
 無事に六十万円を手にすることができた。今回は詐欺ではなく、正当な商談が成立したのだ。
「ありがとうございます」一応お礼をしておく。
 すると孝夫は別の封筒を机に置き、
「三万円あります、どうぞ」
 と言った。
 奈々未が封筒を確認すると一万円札が三枚あった。予想通り、代償を求めてきたのだ。それでも、パパ活としては妥当な金額だし、好みのタイプのイケメンだから断る理由は見当たらなかった。
「いいわよ、一晩だけなら・・・」
「一晩? いえ、三日間です」
「三日も!」
 三日間と聞いて驚いた。三万円で三日もパパ活とは、詐欺の代償とはいえ随分足元を見られたものだ。奈々未は帰ろうとしてソファから腰を浮かせた。それでもお金の入った封筒はしっかり掴んでいる。一度受け取った物は返さない。 
「表の張り紙はご覧になったでしょう。ちょうどいま、受付のアルバイトを募集しているんです」
「バイト・・・ああ、なんだ、そっちの話ですか」
 てっきりパパ活かと思ったのだが、そうではなくて、画廊でアルバイトをしないかというのである。そういえば、店に入ったときにバイトの面接に来たと勘違いされたのだった。
 早とちりをしてしまった。恥ずかしくて顔が上気してくる。
「お茶を出したり、応対やら受付を手伝ってくれる人を探していたんです。版画を見にくる人が多くてね。今週の金曜日からお願いできませんか」
「バイトねえ」
 店に入って、かれこれ一時間くらい経つだろうに、その間、お客は誰一人としてやってこない。こんなヒマな店では受付など必要とは思えなかった。
「そんなによく売れるんだ、この版画」
「売り物ではありません。展示して見てもらうだけです」
「見せるだけ? 入場料は取るんでしょ」
 孝夫は首を振った。
 版画を見せるだけ、しかも入場料は取らないという。これではタダで入れる美術館ではいか。言われてみれば、なるほど壁の版画には価格のラベルが付いていない。
「こっちは詐欺と言われても仕方ないことしてるの。で、あなたはそれと真逆、タダで見せるなんて大層ご立派だこと」
 版画は売買せず、しかも入場無料とくれば人がいいにも程がある。
「仕入れるのにお金がかかるでしょう」
「趣味で収集して展示しているだけです。意外と同じような趣味の人がいるんですよ」
「ふうん、まあ、なんとなく古そうで、趣きはあるけど」
「ラファエル前派」
 と、孝夫が言った。奈々未は何のことだか分からないので、とりあえず「ぜんぱ」と繰り返してみた。
「世紀末の、ここで言うのは19世紀末ですが、英国の世紀末絵画、ラファエル前派を中心に象徴派をコレクションしています」
 19世紀末というと1990年頃だろうか。違うな・・・頭を巡らせた。
「もしかして、19世紀末って1890年とか、その辺のこと?」
 孝夫がそうだと頷いた。
「100年以上も・・・120年も前じゃない・・・驚いたわ」
 ますます版画の値段を知りたくなった。
「高いの? これ。100年前のアンティークだったら、高いんでしょ」
「大きいサイズで二十万円くらい、小さいのは数万円でした」
 思ったよりずっと安い。奈々未が持ってきた版画と同程度の値段だった。


 奈々未は立ち上がって壁に掛かった版画へ近づいた。先ほど見た美しい女性と人相の悪い男の版画だ。
 今度はじっくりと版画を鑑賞した。
『魔法にかけられるマーリン』
 森の中だろうか、生い茂った木の枝には白い花が咲いている。画面の前を大きく占めるのは長いドレスを着て立っている女性である。手に持った本を広げ、右の後ろにいる男の方を振り向いている。その視線の先には、男がだらしなく寝そべった格好で大木の根元に寄りかかっている。
 女性を誘惑している場面だろうと思った。男は目付きが悪い。寝転がってナンパしてもうまくいくとは思えない・・・
 奈々未が視線を感じて振り向くと、吉井孝夫が版画の中の男そっくりな姿勢でソファに横たわっていた。
  *****
「それで、奈々未、バイトに行くわけ」
「そうね、版画買ってくれたでしょ、ワケアリなのを承知でね」
 新堀画廊を出て水上愛理の待つカフェに行った。
「もしかして、その人、奈々未に惚れちゃったとか」愛理が楽しそうに言うので、「まさかね、そんなのないよ」と軽く否定した。
「惚れたよ、バレても言い値で買ったんでしょ」
 売り込みが成功したので、「仕入れ」にかかった金額を引き、二十五万円ずつ山分けにした。いつもならお金を受け取って嬉しいのだが、今回は素直に喜べなかった。
「ちょっと申し訳なかったかな」
「奈々未らしくもない、引っかかる方だって、それなりの下心があるんだから。ほら、あのジジイ覚えてる?」
 愛理が言うのは川崎市にある画廊を狙った時のことだ。その画廊の経営者は事前に仕込みに行った愛理にも、売り込みに行った奈々未にも嫌らしい視線を送ってきた。顔がテカテカして、太った腹の出た男だった。奈々未はすぐにも逃げ出したくなったが、何とか我慢して六点の版画を百万円で売り付けた。
「あのオッサンに会ったらヤバいよね。詐欺だ、金返せとか言いそう。あれに比べたら、吉井さん、いい男だったでしょう」
 奈々未はうんうんと頷く。
「でも、固い感じで真面目過ぎるっていう印象、それに細かい」
 駐車場に車を停めたら、そこは自分が借りているスペースだったらしい。ちょっと停まっただけなのに、それで文句を言うのは細かすぎる性格だ。
「バイト料前払いしてくれたし、三日間だけなら行ってみようかな。一日一万円、あと、交通費と食費で二万円出すって」
「全部で五万か、気前が良すぎるね・・・誘われなかったの、奈々未」
「三万円見せられたときには、その気になってた。一晩だけならね」
 奈々未はクスっと笑った。
「いい人だわ、吉井孝夫。私の目に狂いはなかった。どうせバレてるのなら、もっと版画買ってもらおうよ、安く仕入れるから」
 詐欺に使う版画は、在庫を抱えた画廊や絵画商法から撤退した業者から格安で手に入れている。
 二人が絵画詐欺を働くようになって二年になる。
 奈々未と愛理は同じ店のキャバクラ嬢だった。それなりの美人だから人気があって稼ぎも良かった。当たり前のように、手にしたお金はすべてホストにつぎ込んでいた。二年前の冬、奈々未の勤めていたアクセサリーの店で愛理と再会した。そのときに愛理から絵画詐欺の話を持ちかけられたのだ。
「そろそろ、この商売やめた方がいいかなって、そう思わない? 今回バレたでしょ。だから、ヤバくなる前にやめよう」
 奈々未は軽くため息をついた。画廊をあとにするとき、吉井孝夫からこう言われたのだ。
『感心しませんね、このような商法は』
 彼がこの手口に気付いたのは、懇意にしている画材店から聞き込んだからだったと言っていた。
「あちこちの画廊に、詐欺に注意とか回覧が回っているみたいよ」
「まあ、いつまで続けられるものでもないよね」愛理は同調しながらも、「それじゃあ、結婚詐欺にしなさい、ターゲットは近くにいるし」と笑った。
 結婚詐欺という言葉がズキリとこたえた。
 奈々未は結婚を前提にしていたカレと別れたばかりなのである。


 いつもなら雑貨屋をのぞいたり、服を見て歩くのに、奈々未は真っ直ぐにマンションに帰った。お金は手に入れたものの、うまくやったという感覚は湧いてこない。なんとなく後ろめたさが付きまとうのだ。
 玄関でパンプスが脱げずに片足だけ土足で上がり込んだ。
 女性の一人暮らしも三十歳を過ぎて、いつの間にかだらしない生活が染みついてしまった。キッチンの床にはコンビニの袋やピザの空き箱が転がっている。脱ぎっぱなしの靴下を蹴ってベッドへ寝ころんだ。
 手を伸ばすとクッションが触れた。クッションを男の代わりに抱く。
「康司・・・」別れた男の名を口にしてみた。
 彼と出会ったのは一年くらい前だった。
 奈々未が働いていたハンドバックの店が展示会に出店した。そこでブースを仕切っていたのが木下康司だった。いくつかのブースを担当しているイベント会社の社長だった。
 イベントが終わった日にホテルへ誘われた。
 それから、康司の会社「オフィス木下」に引き抜かれてイベントの仕事を手伝うようになった。初めはスタッフだったが、そのうち、周囲からは「婚約者」のように見られるようになっていた。ところが、今年になってから、かまってくれなくなり仕事にもお呼びが掛からなくなった。
 そして・・・康司が別の女といるところを見てしまった。
 康司はラフなジージャン、女の服は忘れた。どっちにせよ、イベントのスタッフや、得意先の顧客のようには見えなかった。彼は女の腰に手を回しタクシーを止めた・・・
 結婚を前提にしていたとばかり思い込んでいたのに・・・


 *本日もお読みいただきありがとうございました。