連載ー2 美人画廊

 美人画廊 2話 第一章 1の2


「版画の買い取りをお願いしに来ました」
 奈々未はそう言って画廊の中を見回した。
 ドアを入ったところが展示スペースで、中央には応接セットがあり、突き当りの右手には事務机があってパソコンやファイルが置かれている。
 展示スペースの壁に掛かっているのは白と黒の画面の精密な絵画だった。いや、絵画でも版画でもなく、むしろ写真のように見えた。それが十数点並んでいた。
 不思議な感覚にとらわれた・・・これは版画なのだろうか。
 店内の様子が予想とは異なっていたので戸惑っていると、吉井孝夫が「あとの二点は」と言いながら、外に立てかけておいた残りの版画を持ってきた。ふと、違和感を覚えたのだが、店主が自ら詐欺の手伝いをしてくれたので手間が省けた。
 次第にこちらのペースになってきたので落ち着きを取り戻す。奈々未は箱から版画を取り出し壁に立てかけた。
「これを手放そうかと思って・・・買い取ってくださらない」
 ラッセンとブラジリエがそれぞれ二点ずつ、ラッセンのイルカの版画は高さが1メートルほど、ブラジリエの馬をモチーフにした版画はその半分くらいの大きさである。
 吉井孝夫は何も言わずにブラジリエとラッセンの版画を見て頷いた。品定めをしているのであろう。


 奈々未は自分の後ろの壁に掛かった版画を眺めた。
 画廊の中では一際大きい版画で、高さ1・5メートルくらいある。人相の悪い男が横になっていて、前に立つ女性は背後の男性を振り返っている構図だ。物語の一場面らしいが、二人がどのような関係なのかは分からない。
 サラッと見ただけで奈々未はソファに座った。すぐに孝夫も向い側のソファに腰を下ろした。
 そのタイミングを逃さず、先手を打って仕掛けた。
「どうですか、いい品物でしょう。買ってくれませんか」
 にっこりとほほ笑むことも忘れない。もちろん、これもお芝居である。
 この仕事をするときは、いつもより念入りにメイクをする。そうでなくとも顔にはそこそこ自信がある方だ。鼻がスッと高めで、初対面の人からも美人だと言われる。そこへ文字通りの詐欺メイクだから、この顔でほほ笑みかければ、たいていの男はソワソワし始める。そうなったらこっちのもの、言い値で版画を買ってくれるというわけだ。
「ええと、馬の版画はブラジリエでしたかね・・・大きい方は」と言ったまま考え込んでいる。
「イルカはラッセンよ。ブラジリエとラッセン」
 作家の名前を二度繰り返した。
「ああ、そうだ、ラッセンでした・・・うちでは買い取りはあまりしたことがなくて」
 吉井孝夫は乗り気がなさそうである。
 これではなかなか商談が進まない。
 そこで、こちらから、
「全部で六十万円でどうかしら」と、希望金額を言ってみた。
 一点あたり十五万円である。この版画であれば、通常は購入価格が十五万円前後であろう。画廊に買い取ってもらうとなると、せいぜい五、六万円にしかならない。
 六十万円という値段を出したのは相手を見て強気に出てみたのだ。とっさにラッセンの名が浮かんでこないのはいかにも素人である。
 高額で売り込むために、別の作戦も用意している。
 奈々未はソファに深く座り直し、ゆっくり脚を組み替えた。タイトスカートから太ももをチラッと見せた。これも仕事上のテクニックだ。
 すると、吉井孝夫はあたふたした様子で席を立った。「少々お待ちください」と言ってパソコンの前へ行き、なにやら見入っている。
 何をしているのかだいたい見当は付いた。インターネットで版画の取引価格を調べているのだ。どうやらその気になってきたらしい。奈々未の美脚作戦が当たった。
 さっそく愛理に連絡しようとスマホを取り出した奈々未だったが、そこで誰かの視線に気が付いた。
 あれだわ・・・
 壁に掛かった縦長の版画で、豊かな長い髪をした女性の上半身が描かれている。手には一口齧った果物を持ち、愁いを秘めた眼差しでこちらを見ているのだ。ザクロのような果実の真っ赤な果肉、それを齧った赤い唇が不気味な感じである。
 カラーなのでこれは展覧会のポスターであろう。
 画中の女性の視線が気になったのでスマホを閉じた。


 パソコンを見ていた孝夫が戻ってきてソファに座った。
 ネット通販では通常より安めの価格設定にする業者がいる。もし、高いと言うなら四点で五十万円でもよい。これらの版画の仕入れ価格はタダみたいなものだから、価格を下げるのは織り込み済みだ。
 それとも、さらに購買意欲をそそるため、下着まで見せてあげようか。
 奈々未が頃合いを計っていると、
「お友達は」と孝夫が思いがけないセリフを口にした。「彼女も、その金額で良いと言っているのですか」
「はあ」
「昨日、いえ、一昨日だったかな、あなたぐらいの若い女性がお見えになって、ラッセンとブラジリエをお探しだったもので、もしかしたら、お知り合いではないかと」
 ギクッとしたが、奈々未はとぼけて白を切る。
「何のことでしょうか、ただの偶然、人気の画家ですもの。欲しい人は幾らもいるんじゃないの」
「さきほど二階の部屋で片付けものをしていましてね、ふと、窓の外を見ると、うちの駐車場に車が入った。そこから女性が二人降りて版画を運び出してました。その内の一人の方には見覚えがありました。二日前に会ったばかりでしたからね」
 奈々未は軽く舌打ちした。アパートの駐車場に車を停めて愛理と二人でいるところを見られていたのだ。店内に入ったとき、「あと二つ」と言ったのに違和感を覚えたのは、そのためだった。
「店を始めるときに先輩の画材店から、こういう手口があると教わったんです。でも、まさか、僕の所へ来るとは思っていませんでした」
 詐欺の計画を見破られてしまった。
「あーあ、バレたんだ、残念」
 スカートの裾を引っ張った。太ももを露出して損した。
 こうなったからには長居は無用だ。奈々未はソファから立ち上がって版画を仕舞いに行った。
「警察には電話しないでよ、まだ、詐欺にはなってないんだから」
「呼びません・・・」
 そんなのは当てにならない。面倒なことになる前に早いとこ退散しなければならなくなった。
「四つも持って帰るなんて、重くて面倒なんだよね」
 演技する必要がなくなったので、馴れ馴れしい口調になった。
 奈々未が版画を持ち上げたところで、店主の吉井孝夫が言った。
「せっかくお持ちになったのだから、その版画、こちらで引き取りましょう」
 額縁に掛けた手を止め、奈々未は彼の方を振り返った。右の肩越しに彼を見て、しばらくその姿勢を保つ。
 聞き間違いでなければ版画を買うと言ったのだ。それも、騙されていると承知の上である。
 奈々未は立ったまま、「マジですか」と確かめた。詐欺は失敗だったと諦めかけたが、どうやら形勢が変わってきたようだ。しかも、二人の位置関係は奈々未が立って彼を見下ろしている格好だ。こちらが優位である。一転して再び強気になった。
「じゃあ、買ってよ。ちゃんとした品物だから六十万はまけないわよ」
 詐欺まがいと知りつつ買い取っても、版画をお客に販売できれば店側としてはそれでよいのである。この一件とは別に商談があって、すぐに売れるという見込みでもあるのだろうか。
「これが売れたら、あなたは私に感謝するわ、きっと」
 吉井孝夫はお金を取ってきますと言って隣の部屋へ入っていった。
 強気に押して正解だった。奈々未はザクロの女性のポスターに背を向けて、『うまくいった』と愛理に連絡した。
 思わぬ展開に拍子抜けがしてしまった。
 けれども今度は別の不安が過った。詐欺と承知でお金を払うということは、何か魂胆があるに違いない。男が考えることはたった一つ、見返りに身体を要求してくるのだ。条件次第ではパパ活と割り切ってもいい。だが、無理矢理に押し倒してきたならば、こっちから警察を呼んでやる。
「この人に乱暴されました」「この女は詐欺師です」
 どっちの刑が重いんだろう。


 * 一話ごとの掲載量を増やし、4000文字くらいにして、連載回数を25回程度にいたします。