連載ー22 美人画廊

 



 美人画廊 22話 最終回


 あれ・・・
 そこでふと気が付いた。
 先ほどの外国の預金書類をもう一度見直す。
 円じゃない。
 金額の末尾は円ではなくドルの表記だった。
 二十万円だと思ったものが二十万ドルだったのだ。
 ええと、そうすると、1ドルが100円として・・・
 頭の中では計算できないので指で床にゼロを書いていく。
 百、千、万・・・ヤバいっ
 日本円に換算すると二千万円以上になるのだった。
 この紙が二千万円!
 興奮して頭が冴えてきた。
 外国預金が二千万円あるということは、画廊の通帳やアパートの通帳にも相当な残高があるはずだ。
 それだけではない、孝夫はこの家とアパートも持っているのだ。
 不動産も含めれば・・・五千万円・・・いや、もしかして一億円!
 ステキな響きだ。


 やっぱりお金が大好き。
 私の希望は一億円。信頼できるのはお金だけ。
 お金持ちの孝夫が好き。
 そうよ、お正月は手作りのお節料理が一番だわ。コタツに入ってミカン食べて、初詣に行って、それから箱根駅伝を見る。これこそ日本のお正月よ。帰ってきたら、サトイモ、味が染みてておいしいねって褒めてあげるわ。
 孝夫が帰ってくるのが待ち遠しい。なにしろ彼の資産は少なく見積もっても五千万円くらいあるのだ。しっかり捕まえて放さないようにしなければならない。
 それから奈々未は二階の部屋で、アイシャドウを描き直し、眉を足し、口紅を塗り、香水をワンプッシュした。
「うふ、できたわ、この顔よ」
 鼻筋はスッキリし、ふっくらした頬や顎も細く見えている。
 鏡の中の自分に言い聞かせる。
 この顔が好きなんだから。
 今夜はベッドで濃厚に・・・勝負下着は真っ赤なレース・・・
 化粧を終えて、ついでに服も着替えた。先日買ってもらった茶色のワンピースに袖を通す。彼が選んでくれた服だ。勝負服だ。
 化粧を直してルンルン気分のところへ、画廊にお客が来て版画が一枚売れた。版画を包んでいるとタイミングよく孝夫が帰ってきた。きちんと仕事をしているときでよかった。預金の書類を見ているところだったら、引っ叩かれただろう。
 孝夫がリビングに入った。奈々未が通帳を触ったり、書類を見たことがバレないかと不安になる。
「ごめん、商店街の大事な会合があったんだ」
 そう言って封筒を取り出した。
「ポスター撮影のお礼だよ、一万円、預かってきた」
「私に?」
 奈々未はちょっと膨れっ面をしてみせた。通常なら喜ぶところだが、二千万円の預金証書を見てしまった後ではいかにも少な過ぎる額だ。
「最初は無償でお願いしたんだけど、奈々未さんが女優になったでしょ。ノーギャラでは申し訳ない。でも、商店街には予算ないので、これが精一杯のところなんです・・・やっぱり、少なかったかな」
 不満そうにしたのを孝夫に感づかれてしまった。何か言わないと気まずくなった。
「そうじゃなくって・・・お金の問題じゃないわ」
 心にもないことを言った。
「だって、今日、銀行から帰ってきて、すぐに出かけたでしょ、その間、ずっと一人だったんだもの。寂しかった」
「ごめん・・・悪かった」
「仕事だって分かってるけど、近所のお付き合いって分かるけどさ・・・寂しいの」
 寂しいどころか資産状況の調査ができて感謝している。
「孝夫さん・・・バカ」
 猫なで声でそう言って甘えた。
 接近して、化粧直しをした顔を見せつける。
「ああ、奈々未さん・・・きれいだ」
 そりゃそうよ、いつもより厚塗りだもん。
「顔見てると、ドキドキする。奈々未さん」
「私もドキドキしてる」
 キスをして欲しかったが、まだ午後の三時、仕事中だ。
 早く閉店してしまえばいいのにと思った。


 それから、留守中に届いた版画を開けることにした。
 ロンドンの画商から購入した版画である。
 慎重に段ボールを開封した。緩衝材にくるまれた版画を取り出した。縦長の版画が二枚出てきた。
 ラファエル前派の写真製版による版画、フォトグラビュール版画だった。
 さっそく二枚の版画を壁に掛けてみた。
「右側は『信頼』。左は『希望』。両方とも、バーン=ジョーンズの手によるものだ」
 孝夫が二枚の版画を指して言った。
 『信頼』は女性が右を向いて立っている構図だ。手にはランプを持っている。
 『希望』は左を向いた女性が描かれている。左手を上に伸ばし、右手には花の咲いた枝を持っている。
「これはキリスト教の三つの徳を題材にしてあって・・・」
 孝夫が絵の説明をした。
 『信頼』はランプの灯りによって信頼を表し、足元には不信を意味するドラゴンが灯りの炎で焼かれている。
 『希望』の女性は牢獄に囚われていて、鉄格子を透かして青空が室内に入っている。手にした枝はリンゴの花で、これも希望の象徴だ。
「これを見て」
 孝夫が画集を開いて見せた。画集は二冊、どちらも世紀末絵画の展覧会のカタログだった。
 一冊には『信頼』が、別のカタログには『希望』が、カラー写真で載っていた。
 『信頼』は全体的にオレンジと茶色が目立つ。女性の着ている服は濃いオレンジのドレスで、腰にはベージュの布を巻き付けていた。
 『希望』は青だった。女性の青い服と、牢獄に入ってきた青空が印象的だ。
 奈々未は画集と壁に掛かった二枚の版画を見て、なるほど左右をこの位置に飾るのがバランスがいいと思った。
「奈々未さんのためにこれをロンドンのギャラリーに注文したんだ」
「私のために?」
 やや間があってから、孝夫が言葉を継いだ。
「これは三枚で一組の絵画だ。キリスト教の三つの徳、希望、信頼、それにもう一つは『慈悲』あるいは『博愛』と呼ばれている。その三枚で構成されているんだ」
 確かに右向きと左向きだけではどこか物足りない。
「真ん中に入るのは正面を向いた女性像、子供を抱いた女性の姿なんだ」
 左右を向いた女性の間には正面を向く女性が入るのだった。それで三点セットが完成する。
「だけど、今回は『希望』と『信頼』の二枚だけだった。中央に置かれる『慈悲は、ロンドンの店でも持ってないということだ」
「それは、残念だわ」
「残念だけど・・・奈々未さん」
「はい」
「奈々未さん、二枚の版画の真ん中に立ってくれませんか」
「私が?」
 孝夫に促され奈々未は『信頼』と『希望』の間に立った。
「そうそう、いい感じ、ありがとう」
 孝夫が何度も頷く。
「その服、黄色の服、良く似合う」
 孝夫が奈々未の茶色のドレスを褒めた。
「この前、買ってくれたの・・・この服がどうかして」
「右の『信頼』は赤系統、左側の『希望』は青、真ん中の『慈悲』は茶色なんだ」
 たまたまだけど、この服に着替えておいて良かった。
「奈々未さん、聞いてください」
「ええ」
「奈々未さんがここに来てくれた日から店が変わった。版画の売り上げが伸びたし、展覧会は大成功だ。奈々未さん・・・」
「孝夫さん」
「美人で、きれいな奈々未さん。奈々未さんのきれいな顔を見ているだけで幸せになる。仕事を頑張ろうという気持ちになれるんだ」
「はい、孝夫さん・・・」
「この二枚だけでは、まだ未完成だ。けれど、奈々未さんが真ん中に立ってくれれば三つの徳が揃う。奈々未さんは慈悲だ」
 胸が熱くなってくるのを感じた。
「奈々未さんを信頼している。僕には生きる希望なんだ・・・結婚してください」


 奈々未は孝夫を真っ直ぐに見つめる。
 最初の出会いは詐欺だった。騙されていると承知で版画を買ってくれた。元カレのことやホストに貢いだ過去も受け入れてくれた。
 信頼していると言ってくれた。自分にとって希望の存在だとも。


 奈々未は二枚の版画、『信頼』と『希望』の中央に立った。
「孝夫さん、写真撮ってください」
 これがプロポーズの答えだ。


 *美人画廊 今回にて完結します。長らくのご愛読ありがとうございました。