無題・地震による隆起など

 今回のブログは以前の記事と重複する箇所があります。


 能登半島地震では、自主避難所、二次避難所で暮らす方々、また、中学生は集団避難するなどご苦労されていると思います。


 能登半島地震は半島の北側に伸びる海底の断層によって起きました。半島の北側にある「F43」という活断層が動いたようです。政府の地質調査委員会によると、その北東部にある断層は動いていないということです。北東部には「F42」という断層もあるので、動いていない断層とは、この「F42」を指すのでしょうか。


 地震のため、珠洲市では海岸付近で海底が4メートルも隆起し、海底が剥き出しになったところもあります。地盤ごと上に持ち上がったので、住んでいる人は隆起したことに気が付かなかったかもしれません。それでは隆起した陸地側では、どこまで持ち上がったのでしょうか。どこかで隆起が止まった地点があるのでしょうが、テレビの報道では、そこまでは分かりませんでした。今後、調べて見ます。


 能登半島ではこのような隆起が繰り返され、過去6000年に、三回にわたって、ほぼ2メートルずつ陸地が持ち上がったとのことです。その当時は、古墳時代であり、人口も少なかったと思われます。また、土の地面でしたから、地震で隆起しても波によって浸食されていたでしょう。今回は今までになく大規模な隆起で、しかも、港や護岸はコンクリート覆われていますから、復旧はどうなるのでしょうか。


 2024年の能登半島地震は、1000年に一度の災害ともいわれています。1000年前というと平安時代の中期にあたり、武士が台頭してきた頃です。


 関東地方で地震というと、関東大震災になります。大正の関東大震災の震源域に関してはいろいろな説があります。一つは神奈川県西部を震源とする地震説で、これは陸地の神縄・国府津断層が動いたというものです。相模湾の相模トラフが震源という説もあります。また、陸地の断層の先端が海底まで繋がっていて、それによって相模トラフが連動したという説もあります。津波が襲ってきたので、相模トラフが動いたのは間違いないでしょう。


 この地域、関東南部では同じような地震がほぼ200年ごとに発生していて、大正の前は元禄期だったそうです(元禄の地震と大正時代の関東大震災はメカニズムが異なるという説もあります)。ということは、能登半島地震が1000年に一度の地震だとすると、その1000年の間に、関東地方南部には関東大震災クラスの地震が四回、または五回発生したことになります。これも恐ろしいことですね。
 大正とその前の元禄期の地震では、神奈川県(鎌倉・小田原)、東京都(江戸)に大きな被害がありましたが、それ以前となると、江戸は寒村で、家もまばらだったでしょうから、それほど被害がなかったと思われます。


 200年前の元禄時代に大きな被害があったにもかかわらず、江戸の町を再建し、その後、明治になっても東京はますます発展しビルが建つようになりました。大正時代の科学、地震の研究では、東京で地震が周期的に繰り返し起きると分っていなかったのかもしれません。