くわしい探偵社 第一話 逆さまの額縁

 ・このブログ、まだ冬眠中なのですが、ときどき目覚めて、自分の書いた小説を掲載してまいります。


くわしい探偵社 第一話 逆さまの額縁


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 男は床に転がった死体に背を向け、壁に掛かった絵を眺めた。それから、壁の額縁を外し上下逆さまにして掛け直した。
 とたんに額縁が前に傾く。
「落ちる、誰か、押さえて」
 死体が起き上がって手を貸した。
 ・・・


 ここは横浜市の外れにある「くわしい探偵社」である。お客さんはめったに来ない。社長にして探偵員の小夜子さんは今日も暇を持て余している。
 今月、探偵社に来たのは二人だけだ。
 そのうちの一人は迷子の犬を探して欲しいという依頼者だった。小夜子さんが、犬の名前や犬種などを聞き出していると、その人の携帯に犬が戻ってきたという知らせが入った。犬を発見したのは向いにあるペットサロンの人だった。どうやら、依頼者は先にペットサロンに駆け込んだみたいで、探偵社にはついでに立ち寄っただけらしい。
 もう一人のお客さんは探偵社を学習塾だと勘違いして入ってきた。「くわしい探偵社」だから、詳しい数学とか、詳しい日本史を教えてもらえると思ったのだろう。
 こんな調子なので探偵業だけでは生活が成り立たない。そこで、小夜子さんは幾つかのアルバイトを掛け持ちしている。その一つは、他社の探偵事務所の下請けになって、尾行や写真撮影などを手伝うことだった。ただし、いつ声が掛かるか分からない。その他にも、週に四日ほどキャバクラでアルバイトしている。キャバクラは収入が安定しているから、こちらを本業にしてもいいかなと思うこともある。
 今日はキャバクラのバイトはシフトが入っていなかった。探偵社は相変わらずお客さんが来ないので、小夜子さんは部屋の掃除を始めた。
 暇だから掃除は行き届いている。そこで、壁に掛かった額縁の写真を取り換えることにした。壁から額縁を取り外してアクリル板を拭いた、本物の版画や絵は高くて買えないので、額縁には去年のカレンダーから切り取った写真を入れてあった。菜の花畑や満開の桜、仙石原のススキとかの写真を季節ごとに替えている。これから年末までは紅葉の写真を飾ることにした。
 額縁の背面の留め具をずらし、板を外して写真を入れ替えた。ヒモを通す金具の位置を確かめ、額縁が上下反対にならないように注意した。もし、うっかりして額縁を逆さまに掛けようものなら大変なことになる。
 先日、画廊のご主人にそれを教えてもらったのだ。
 十日ほど前、キャバクラ「ファイナル」に出勤したとき、版画の交換作業中だった。画廊の人が壁に掛かった額縁を取り外し、新しく持ってきた版画と交換していた。この画廊の男性はなかなかのイケメンだが、残念なことに既婚者だ。いつだったか、奥さんが手伝いに来たことがあって、それが驚くような美人だった。女優かモデルといっても通用するくらいだった。美人の奥さんは「私もキャバ嬢だったのよ」と言った。どうやら、ホストに貢ぎまくった過去があるらしい。
 小夜子さんは版画の交換を見ていて、あることに気が付いた。額縁の裏にはヒモを通すための金具が左右に一つずつ付いている。それが真ん中ではなくて、やや上に付けられているのだ。どうして真ん中ではないのか不思議に思った。何か調べたくなるというのは探偵業の宿命だ。
「額縁の裏のヒモを通す金具って上に付いているんですね、真ん中だと思ってました」
「そうなんですよ、真ん中よりも上の位置に取り付けてあることで重心が下になり、壁に掛けるとピッタリ垂直になるんです。もし、金具を中央に付けて、そこにヒモを通すと、壁に掛けたとき額縁は前に傾いて格好が悪い」
 額縁の金具の位置が中央よりも上に付いているのには理由があったのだ。
「こんなことはしないかもしれませんが、このまま額縁を逆さまに掛けようとしたら、傾くどころか、間違いなく落下してしまいますね」
 ヒモを通す金具が正常の位置、すなわち、上よりに取り付けてある額縁を反対に掛けたら落ちてしまうそうだ。
「額縁に入れるときに版画を上下反対にしちゃうことってあるんですか」
「その心配はありません。版画はマットという台紙に作品を貼り付け、そのマットに印を付けて上下を分かるようにしてます。油絵だと、作者がキャンバスの裏に名前と作品名を書きます。ですから、作品の上と下を間違えることはないですね」
 画廊のご主人によると、版画は入れ替えも可能だが、油彩画は一度額装すると入れ直すのが難しいということだ。油彩画は額縁の背面の板をネジで留めたり、テープで厳重に固定してある。これらの作業は画廊がおこなうのではなく、画家と額縁屋の仕事なので、ご主人も油彩画を額装した経験はないという話だった。
 一連の作業が終わると、画廊のご主人は「次回はイーゼルスタンドを持ってきます」と言って帰った。イーゼルスタンドとは額縁を立てかけたり、絵を描くときにキャンバスを置く台のことだ。キャバクラの店内装飾としてイーゼルスタンドを使うらしい。


 小夜子さんが額縁を元のように掛けたところへお客さんがやってきた。川村映里さんだった。彼女は俳優で、おもに舞台に立っている。たまに、映画やドラマにも出ているが、通行人とかカフェのお客などの役ばかりだった。
「ねえ、聞いてよ、今度、テレビドラマでセリフがある役をもらったの」
 映里さんが目を輝かせた。
「すごい、で、どんな役なの」
 小夜子さんが訊ねた。
「私の役は、絵画の展覧会を取材にしている記者でね、ストーリーは・・・」
 映里さんが言うには、そのドラマはギャラリーが舞台のミステリー物で、抽象画の画家の展覧会をやっているのだが、ギャラリーの経営者が死体で発見されたというものだった。撮影は三日後から始まり、放送は来月の予定だそうだ。
「私のセリフは『撮りました』だけなんだ」
 映里さんは、それをいかにもお芝居のように言って聞かせた。
「さて、小夜子さん、この事件の犯人は誰でしょう。探偵だから推理してみて」
「そうねえ、ギャラリーの展覧会での事件でしょう。だったら、その絵を買おうと思った人がいたのよ、でも、別の人が買っちゃうわけ。それで、先を越された人が事件を起こしたっていうのは?」
「残念でした、真犯人は画家だったのです」
 小夜子さんは推理が外れてしまった。名探偵のつもりが迷う方の迷探偵になった。
「その動機っていうのが、自分の描いた抽象絵画が上下反対に壁に掛かっていたことだったの。それで、この絵の価値が分からないのかと怒って、ギャラリーの経営者の頭をドンってやっちゃうの」
 額縁が反対・・・つい最近、その話をしたような気がする。
「私はカメラマンの役で、展覧会初日に撮った会場風景の写真が事件解決の手掛かりになるのよ」
「すごい重要な役なんだ、映里さん」
「刑事さんが、私の撮った写真と事件現場の写真を見比べて、一枚の抽象絵画が事件後に初日とは逆さまになっていることに気付くわけ。画家が犯行の後で、額縁ごとひっくり返して正しい方向に掛け直したのね。私の写した写真が証拠になって、画家が犯人だと分かるんだから、ドラマのキーポイントになる役よ」
 それを聞いて小夜子さんはどこか変だなと思った。
「映里さん、その絵は壁に掛かっていたの?」
「そうよ、台本では壁に掛けてある設定だった。何が描いてあるのか分からない抽象絵画なんで、ギャラリーの経営者も逆さまだとは思わなかったんでしょうね。これが、人物とか風景画なら反対に掛けるなんてことないもんね」
 額縁は逆さまに掛けられない。先日そのことを、キャバクラで画廊の人に教えてもらったばかりだった。
「画家が犯行後に絵画を上下逆さまに掛け直したと言うんだけど、そこは、ちょっとおかしいかもしれない」
 小夜子さんは立ち上がって部屋の壁際に行った。そこには例の紅葉の写真を入れた額縁が掛かっている。小夜子さんは額縁を外した。
「やってみるわね、そのドラマのように、額縁を上下ひっくり返して壁のフックに掛けてみると」
 小夜子さんが額縁を逆さまにして掛けた。すると、当然のことながら額縁はかなり前に傾いた。手を放すと今にも床に落ちそうである。
「さっきは壁にピッタリだったのに、反対にしたらこんなに傾いて、押さえていないと危ないでしょう」
 と、自慢げに言った。
「ほんとだ、落ちそうじゃない・・・」
「ええと、どうしてこうなるのか、詳しく説明するわよ」
 そう言って、大げさな身振りで額縁の裏を示した。さっきは推理を外したが、ここは名探偵の腕の見せどころである。
「いいこと、額縁の後ろには吊りヒモを通すための金具が左右に一個ずつ取り付けてあるのね。その位置は真ん中ではなくって、やや上の方に付いているの。この位置だから壁に掛けたときに垂直になるわけ。それをそのまま上下反対にしたら、今みたいに前に傾いてしまうの」
「頭いいのね、小夜子さん」
「そりゃあ、探偵だもの、何でもお見通しよ」
 画廊のご主人に聞いたことは隠して名探偵を気取る小夜子さんである。
「そもそも、絵を額装するのは画家と額縁屋の仕事なんだから、ギャラリーを恨んではいけないわ」
 ドラマではギャラリーの社長が殺されるようだが、それでは理不尽だ。
「額縁はひっくり返して掛けられないってことか・・・ヤバい、それだと、肝心のトリックが成り立たないじゃん。私の出番はどうなるの、カットされちゃうかも」
 ソファに座った映里さんは天井を向いて嘆いた。
「そのトリックは監督が考えたの?」
「監督じゃないと思う。原作者はグラビアアイドルで、モデルやったり、小説を書いているんだけど、今回のドラマのために書いたミステリーなんだって」
「マネージャーがきちんとチェックしなかったのね、きっと」
「アイドルだったから、間違いを指摘して傷付けちゃかわいそうだし」
「そうねえ、何かいい方法は・・・」
 そこで思い付いた。今日は頭が冴えている。
「だったら、いい方法があるわ。額縁を壁に掛けるのではなくて、イーゼルスタンドに立てかけるっていうのはどうかしら。それならトリックも可能よ。それがいい、ゼッタイ」
 小夜子さんはまたしても得意顔だ。もっとも、これも、先日キャバクラで画廊のご主人がイーゼルスタンドを持ってくる、と言ったことを思い出しただけだ。
「それよ。さすがは小夜子さん。スタンドに立てかければいいのよ。やっぱり、探偵さんだけのことはある」
 それを聞いて、小夜子さんは、まるでプロデューサーになったような気分がした。監督と原作者を呼びつけて、「ここんとこ、変更するからさ」とか言うのだ。小道具係は慌ててイーゼルスタンドを取りに行くだろう。
「それなら、私の出番もなくならない。だけど、私みたいな新米の俳優が原作の設定ミスを指摘できないと思うよ。しかも、相手はアイドルなんだもの。そんなことしたら、出しゃばりとか思われちゃう」
 映里さんはそう言ってため息をついた。こればっかりは小夜子さんにはどうにもならないことだ。


 それから一週間後、また映里さんがやってきた。
「バッチリだったわ」
 と、大喜びだ。ドラマの撮影がうまくいったようだ。
「撮影のリハーサルで、額縁を逆さまに壁に掛けようとしたら、ダメだったのよ。それで現場は大騒ぎになっちゃって・・・」
 監督はのけ反り、台本作家は頭を抱えるで、撮影はストップした。殺された死体役の俳優は起き上がって傾いた額縁を押さえ途方に暮れていた。何といっても原作小説を書いたアイドルの女性は、自慢のトリックがダメだったと分って、いまにも泣きそうだった。
「そこで、これのお出ましよ」
 映里さんが、ジャジャーンと取りだしたのはスマホスタンドだった。
「小夜子さんに教わったように、イーゼルスタンドならいいと思ってね」
「あら、スマホスタンドで代用したの?」
「違うわよ、これじゃ小さくて使えないわ。私は撮影が始まる前に、小道具係さんに、スマホスタンドを買ったんだけど組み立て方がわからない、と言ってみたわけ。ホントは組み立て方は難しくないのよ、箱から出して台座を広げればいいだけ。ね、こんな風に」
 映里さんはスマホスタンドの台座を左右に広げて机に置き、スマホを立てかけた。
「ほら簡単でしょ。それを小道具さんが覚えていて、すぐにイーゼルスタンドを持ってきたの。そこに、抽象絵画を立てかけるように変更して、撮影は無事に終了しました。監督もアイドルも喜んでたわ」
「なるほど、小道具の人の発案にしたなんて、それなら監督さんも納得よね。映里さん偉いわ」
「これも、小夜子さんのおかげです。その監督さんの推薦もあって、私、次回作の出演が決まりました」
「良かったじゃないの、今度はどんな役?」
「迷探偵役。小夜子さんを見て役作りさせていただきます」


 ・第一話 終わり 第四話まで続きます。