くわしい探偵社 第四話 天気晴朗ナレドモ

  くわしい探偵社 第四話 天気晴朗ナレドモ



 ここは横浜市の外れにある「くわしい探偵社」である。社長も社員も小夜子さん一人だけしかしない。
 小夜子さんは新聞の朝刊を手に取った。
 一面は、【戦況は膠着状態。黒海のロシア戦艦モスクワ沈没】という見出しだ。二月に始まった戦争は収まるどころか依然として続いている。遠い国の出来事とはいえ、他人事ではない。横浜にもウクライナから避難してきた人がいると聞いた。胸が痛む思いがする。
 毎日、戦争のニュースか、さもなければ新型コロナの話題ばかりなので、天気は良くても心は晴れなかった。
 気を取り直して『探偵月報』という業界紙に目を通した。
 小夜子さんのお目当ては三題噺のコーナーだ。これは毎月三つの題が出され、それに沿って文章を書くという企画である。400字以内であれば、小説でも、エッセイでも構わない。入選者には図書カードが贈られる。このコーナーに入選して注目されたら、探偵社にも依頼者が増えるのではないかという淡い希望を持っている。
 さて、今月のお題はというと【ノミ・油・ブリキ】だった。
 ノミを見て、蚤を連想した。蚤はイヤだ、虫は苦手だ。でも、蚤の市と使ってもいいのだろう。そこで、蚤の市に行ってブリキの玩具を買ったというストーリーを思い付いた。残ったのは油だ。玩具が錆びていたので油を塗りました、これでは発想がありふれている。誰でも思い付きそうなストーリーだ。だが、その後も頭を捻っていたが、なかなかうまい話が浮かばなかった。
「油で苦心するなあ」
 独り言を言った。
 とりあえず、メモ用紙に「蚤の市で買ったブリキの玩具に油を塗って」と書いた。
 そこへ、入り口のドアが開いてお客さんが入ってきた。近所のペットサロンの高梨さんだった。高梨さんはペットサロンを経営しているのだが、去年から娘さんが店に出て頑張っている。自分ではすることがなくなったようで、ときおり探偵社に遊びにくる。ご近所だから話し相手になっているが、迷子のペット捜索の依頼を高梨さんのペットサロンに持っていかれたこともあった。
「聞いてよ、この間、佐賀県に住んでる親戚の叔父さんが亡くなってね」
「まあ、それは・・・存じ上げませんで」
「コロナが流行っているから葬式は身内だけですませたのよ。それで、遺品の整理をしていたら、こんなものが出てきて・・・」
 高梨さんが一枚の紙を広げた。かなり古いもののようで紙は黄ばんでいる。
「これ、死んだ叔父さんの物ではなくて、そのまたお父さんの、もっと前の先祖の持っていたものらしいの」
「なるほど、言われてみると骨董品に見えますね」
 骨董品だと褒めておいた。もしかしたら、この紙に書かれていることを調べてくれというのであろうか。久し振りの調査依頼だと、小夜子さんは意気込んだ。その叔父さんは佐賀県に住んでいたと言うから、調査のついでに長崎まで行ってハウステンボスを観光してくる。チャンポンを食べたり、お土産代などは必要経費にすればいい。
「これ、ところどころ昔の漢字で書いてあるんだけど、ここ見て」
 そこには墨で書いた幾つかの言葉が並んでいた。高梨さんが指差しながら読み上げる。
「国親父座ろう、何時も居る、蚤取り権助、ぼろ出せ、呆れ三太、油苦心、薄いブーリキ」
「何かの暗号かしら・・・?」
 小夜子さんは、高梨さんが読んだだけでは何だか分からなかったので、その紙をじっくりと見つめた。
 全部で七つの言葉があるのだが、そのうちの三つ、蚤取り権助、油苦心、薄いブーリキを見てハッとした。ノミ、油、ブリキという、『探偵月報』の三題噺のお題が見事に並んでいるではないか。ブリキはブーリキと伸ばしてあるが問題はない。
「興味持った?」
「ええ、すごく興味持ちました、とくに、ノミ、油、ブリキが」
「これを、いろいろ調べたら、今のうちの商売、ペットサロンと関係していることが分かったのよ」
 高梨さんが言うのはこうだった。
 叔父さんの遠い先祖の権助さんは働き者、ブリキを加工してランプを作り、ボロ布でランプを磨いていた。だが、貧乏で燃料の油が買えなくて苦心していた。隣の家の三太という人は何時も家に居てぶらぶらしている。仕事もせずに怠け者だから、陰では、呆れ三太と呼ばれていた。権助さんは親切にも三太の飼っている犬の蚤を取ってあげていた。そこへ田舎から親父さんが出て来たので、どうぞ座りなさいよと勧めた。
 小夜子さんはふんふんと頷きながら聞いていた。
 いろいろ調べたとは言うが、それは俄かには信じ難い。権助さんという先祖がいたというのは怪しい話だ。それに、唐突に田舎の親父が出てくるのも不自然だ。
 だが、これは使えそうだ。なにしろ、三題噺のお題がピタリとハマったのだ。
「まだあるのよ。ここには持ってこなかったけど、もう一枚紙があって、そこには、『天気晴朗、タカシ、努力せよ』と書いてあったの。聞いてよ、亡くなった叔父さんの名前がタカシなの」
「それじゃあ、ズバリ当たってますね」
「なんといっても、肝心なのは蚤取り権助のところだわ」
「そう思います。蚤取り権助が油で苦心した場面には思わず感動しました」
「私もここが一番力が入ったのよ。先祖が犬の蚤を取っていたってわけ、それで蚤取り権助って呼ばれたんだわ。それから何百年も経って、うちはペットサロンをやっているでしょう。これも遠い先祖のお陰だと思うのよ。娘にも、蚤取り権助様によく感謝しなさいと言っておいたわ」
「いい話ですね。ランプを手作りしたり、昔の人は働き者で感心しちゃいます」
「別の紙には、天気晴朗とか『タカシ、努力せよ』と書いてあったでしょ。きっと、タカシ叔父さんが、努力しなさいよと遺言を残してくれたんだわ。先祖の権助様やタカシさんを見習って、努力して一生懸命働けば、商売繁盛、間違いなしってことね」
 高梨さんはそう言って帰って行った。
 何のことはない、ペットサロンをやっているのは先祖の血が流れているのだと自慢話をしにきただけだった。それでも、自慢話のおかげで三題噺のストーリーができあがったではないか。
 小夜子さんは高梨さんの言葉を思い出し、メモ用紙に書き留めた。
「蚤取り権助、油苦心、薄いブーリキ。これが大事よね。あとは何だっけ、ええと、国親父座ろう、呆れ三太、何時も居る、呆れ三太、他の言葉は関係ないんだけど、たぶん、こんなところだった」
 重要なのは三つだけだ。これで、三題噺のコンテストに応募してみよう。
 そのストーリーは、「昔々、蚤取り権助という人がいて、ブリキでランプを作って、でも、家が貧しかったので燃料の油が手に入らず困りました」というものである。
 これなら時代小説みたいで審査員の目に留まることだろう。我ながら素晴らしい出来だ。こんなに文才があるとは気が付かなかった。高梨さんの話をそっくり使うのはパクリと言われても仕方ないが、この間、迷い犬の捜索を横取りされたお返しだ。
 それとも犯罪に当たるのかな・・・
 探偵が犯罪を犯してはいけない。けれども、『探偵月報』は関係者にしか配られないからバレるわけはないのである。入選したら探偵社も忙しくなるぞと気合を入れた。


 そこへまたドアがノックされた。集中しているところへ邪魔が入ったが、依頼者かもしれない。小夜子さんは立ち上がってドアを開けにいった。
「どうも、お久しぶりです」
「あら、進藤さん」
 入ってきたのは同じ探偵仲間の進藤正也さんだった。
 彼は大手の調査事務所に勤めている。その事務所はおもに企業の調査をおこなっていることで知られている。迷子の犬を探すのとは訳が違って探偵のエリートだ。しかも、彼は背が高くイケメンなのである。
 進藤さんは、近くへ来たから立ち寄っただけということだった。
 先月、彼の事務所の仕事を手伝った。横浜の山下公園にあるホテルで対象者を尾行して見張った。進藤さんと二人、まるで恋人とデートしているような気分だった。それとなく氷川丸に行こうと誘ったのだが、まだ仕事の続きがあると断られてしまった。訪ねてきたのはその穴埋めかもしれないと思った。
 今日は夕方からキャバクラのアルバイトがあるので、薄っすらとメイクしている。間違ってもすっぴんなど見せたくはない。
 彼は小夜子さんの書いたメモを見ている。蚤取り権助、呆れ三太などと書いたメモだ。秘密事項ではないが隠すのを忘れてしまった。彼も探偵なので何か気になったのだろう。
「ああ、それ、請け負った仕事だから守秘義務があって言えないわ。ごめんなさい」
 本当は仕事ではなくペットサロンの自慢話なのだが、忙しいところを見せようと見栄を張った。
「僕と小夜子さんの間に守秘義務なんか必要ありませんよ」
 進藤さんは二人には隠し事なんかいらないと言った。
 これで小夜子さんはたちまち舞い上がってしまい、守秘義務どころではなくなった。
「そうだったよね、二人には秘密なんかないんだわ・・・」
 というか、二人だけの秘め事を持つ関係になりたいのだ。
 そこで、小夜子さんは、ペットサロンの高梨さんから聞いたご先祖様の一件を話した。蚤取り権助とか呆れ三太とか、もちろん、努力せよと遺言を残したタカシ叔父さんのことも忘れなかった。
「蚤取り権助の正体を調べるために佐賀県まで調査に行こうと思って」
 ありもしない出張話まで持ち出したのだが、進藤さんは真剣な面持ちで聞いている。今さら、嘘でしたとは言い出しにくい状況になった。
 ところが、彼は、
「ペットサロンの人には申し訳ないが、蚤取り権助の話は単なる誤解だと思うな」
 と言ったのだ。
「誤解? そうなんですか」
「何時だったか、小夜子さんと山下公園に行ったよね。あのときは尾行の仕事を手伝ってくれて、ありがとう」
「私でよければいつでも誘ってね。薄暗い路地裏のホテルでも、どこでも後を付いて行くから」
 尾行を通り越してストーカー状態である。
「山下公園に氷川丸という船がありましたね」
「ねえ、今度、仕事じゃなくてクルーズ船に乗りましょうよ」
「すいません、僕、船が苦手なんです。でも、氷川丸ならいいですよ。港に停泊して頑丈に繋がれているし、動くといっても潮位の変化で多少上下するだけだから」
「うれしい、ゼッタイ後悔させないわ」
「僕も航海したくありません」
 話が微妙に噛み合っていない。
「そのメモの蚤取り権助に話を戻すと、横浜の氷川丸と同じように、横須賀には戦艦三笠があるんだ」
「戦艦三笠」
「僕は横須賀市の生まれだから、戦艦三笠には何度も行ったことがあります。これは陸上に固定してあって動きません。三笠は日露戦争当時の戦艦なんだよ。日本海海戦というのがあって、ロシアのバルチック艦隊がウラジオストクに入港しようとするのを、東郷平八郎率いる連合艦隊が迎え撃った」
 進藤さんは、日本の連合艦隊が圧倒的に優勢で、バルチック艦隊の戦艦はほぼ全ての戦艦が航行不能、あるいは沈没したと言った。
 日露戦争といえば明治のころの出来事だ。それが蚤取り権助や油苦心とどんな関係があるのだろうか。
「訓練の中で、兵士にバルチック艦隊の戦艦の名前を覚えさせようとした。でも、ロシア語は難しい。そこで、ロシア語を日本語に置き換えたのです。例えば、クニャージ・スワーロフという戦艦はクニオヤジスワロウと言い換え、覚えやすくするために物語をこしらえたんです。国からはるばる親父が出てきた、まあ座れや、みたいな話だったんでしょう。それが、国親父座ろう、となったのさ」
「国親父座ろうは、クニャージ・スワーロフだったんですか、語呂合わせにしては、かなり無理があるみたい」
「同じように、ボロディノはボロ出せ、アレキサンドル三世号は呆れ三太にとなり、シソイ・ヴェリキーという戦艦は薄いブーリキと呼んだ」
 ボロ出せそのまんまだし、呆れ三太に至っては文字通り呆れる。シソイ・ヴェリキーは語呂合わせで、薄いブーリキになった。ブリキ製の船なのだから、どうりでロシアの軍艦はよく沈没するわけだ。
「他の戦艦名は、アブラクシンは油苦心、イズムールドは何時も居るだ。いや、水漏る、だったかもしれない」
「蚤取り権助はどうなの」
「ドミトリー・ドンスコイ。だから、ノミ取りではなくてゴミ取りだと思う。ペットサロンの人の叔父さんだか先祖の人が、うっかりしてノミと書いたのでしょう」
「なんだ、ゴミ取り権助、だったのね」
 お隣の高梨さんは、蚤取りの文字から強引にペットサロンの仕事と結び付けただけのことだった。それも、ゴミ取り権助と蚤取り権助を取り違えたのだ。
「もう一つ、努力せよと言ったタカシ叔父さんのことだけど。これはある意味偶然なのだけど、別の考えでは正しいと思います」
 進藤さんが言うには、日本海海戦が始まったとき、艦隊参謀の秋山真之が、『本日天気晴朗ナレドモ波高シ』と打電したというのである。一説には、それに続けて『各員一層奮励努力セヨ』と付け加えたとされている。
「波高シの、波の字が消えてしまったので、たまたまタカシ叔父さんの名前と一致したんだろう。戦争を美化してはいけないが、何事も努力するに越したことはないね。それで、ペットサロンが繁盛すれば大いに結構じゃないですか」
 単純な勘違いや偶然の一致が重なったことだと分ったが、小夜子さんは高梨さんに話すのはやめておこうと思った。蚤取り権助のおかげでペットサロンの仕事に励んでいるのだから、夢を壊すようなことはしたくない。
「日本海海戦では連合艦隊の大勝だったのだが」
 進藤さんが言った。
「日本は次第に資金が底を尽き、アメリカに仲裁を頼んで何とか停戦にこぎつけた。日本では、国民は勝ったと喜んだものの、とうてい勝ったとはいえない状況だった。日露戦争では戦死者は日本側がおよそ八万人、ロシアは六万人もあった。多くの人が命を失ったことになる。今も昔も戦争は許されない、悲しむ人が増えるだけだ」
 戦争は許されない、悲しむ人が増えるだけだ。その通りだと小夜子さんは思う。


 ・第四話 終わり
 ・続編を執筆予定です。