ウトパラの蓮 その2

 ウトパラの蓮 その2は小説の中ほどの部分です。
 ここでは主人公が仏教について考察しています・・・



 密教では女性の尊格が尊重されている。尊格とは仏や菩薩、明王などの総称である。インドやチベット密教ではターラー菩薩や守護尊の明妃、ダーキニーなど女性の仏、もしくは神が盛んに信仰されている。
 ターラー菩薩は女性の菩薩の代表ともいえる。
 観世音菩薩が、いくら修行しても人々の苦しみが減らないことを悲しんで涙を流した。そのとき、右目の涙からは、シタ・ターラー菩薩が、左目からはカヴィラヴァーニー・ターラー菩薩が生まれた。そして二人のターラー菩薩は、「これからは私たちが頑張りますので悲しまないでください」と言ったとされている。シタ・ターラーは白ターラー、カヴィラヴァーニー・ターラーは緑ターラーとも呼ばれる。いずれも女性の菩薩である。
 ターラー菩薩は、現世の海を渡って人を救済するといわれ、観世音菩薩の救済から漏れた人を助ける。チベットでは白ターラーをドルカル、緑ターラーをドルジャンと呼び、願望成就に霊験があるとされている。日本や中国でも『多羅』の文字を当てることがあるが、ターラー菩薩の信仰はほとんど見られない。
 菩薩とは、すでに悟りを開いて仏になったのだが、この世界に留まって人々を救済する役割を担っている。観音菩薩、地蔵菩薩、文殊菩薩などが知られている。日本と同じくチベットでも観世音菩薩が広く信仰の対象になっていて、中でも、六字咒観音菩薩がもっとも信仰が篤い。観音菩薩はアバローキティーシュヴァラといい、六字咒観音菩薩はシャドウクシャリー・アバローキティーシュヴァラである。
 インドやチベットで女性の容姿で描かれる仏、菩薩がみられるのは、女性名詞があるという言語の特性によるものではないかと推測できる。インドの古い言語サンスクリット語には男性名詞、女性名詞の区別がある。
 プラジニャーパーラミータ、漢訳すると般若波羅蜜という名の尊格がいる。尊格とは広義のホトケ様である。これは、般若経の内容を具体的な姿にした尊格で、プラジニャーパーラミータという言葉は女性名詞である。そこで、この尊格は女性の容姿で描かれることになった。このように男性、女性名詞がある言語を使う国では、女性名詞に由来する女性の尊格が受けいれられたのではないだろうか。
 仏教では伝統的に女性の出家者は比丘尼と呼んで、古くは女性も尊重されていた。しかも、日本で初めての出家者は女性であった。高野山で女人禁制を敷いていたのは、現代からみれば差別主義だったと言われても致し方ない。これは経由地である中国の儒教の影響だと言えよう。


*このような記述が延々と続きます。